2013年02月28日

タイ・ビルマ戦線5

今回は、二度目の支援になる。

メータオクリニックの分院である。
それらをはじめ、難民のための様々な活動をしている、マップ・ファンデーションという、グループの事務所に立ち寄る。

その事務所でも、仕事に就けない人たちを支援する、様々なことを行っている。
場所の案内を頼む。

一人の青年がバイクで、先を行くことになった。
チェンマイの町は、複雑な道々。
特に、中心街から離れると、もう駄目。
全然分らなくなる。

10分程で、見覚えのある建物が・・・
電話連絡が行ったのか、待っている人たち。

車を乗り入れ、玄関の前につける。

最初は、居住区にもと思い、すべての荷物を下ろさなかった。
日の丸を持って、挨拶する。

英語のよく出来る女の子が、私たちの相手をする。
はじめての顔である。
それに、前回の人が見当たらない。

とても、入れ替わりが激しいようである。

まず、入院患者さんたちにと・・・
手渡しを始める。

そうしていると、その代表の方が、こちらに向かっていると、教えてくれた。

タオル類は、すぐに皆に行き渡った。
そして、衣類である。
一人一人に・・・

そうしていると、女の子が、後ろの建物に住む人たちにも・・・
と言う。
えっ・・・
患者さん以外の人たちも・・・
そうです・・・

それならと、すべての支援物資を車から下ろす。

それでは、皆さんに必要なものを選り分けて、取ってください・・・

すると、別の女の子が、ベビー用品を集め始めた。
赤ん坊が沢山いることが、分る。

彼らは、互いに助け合う。
助け合わなければ、生きられない。

自分のものは遠慮していた女性が、人のために、色々と集めている。
辻代表が、その方に合うものを探すと、恥ずかしそうに、受け取る。

何と、70キロ以上の支援物資が、あっという間に、消えた。

ただ、中に差し上げるべきではない物、つまり色あせや、シミのあるものがあったので、それは、空いたバックに入れた。
皆、点検していたが、中にはその時に、ああこれは駄目というものがある。

子供用が、五点ほどである。
それと、男の子用の帽子である。
その施設には、男の子が二人だけで、充分に渡すことが出来た。

それをホテルに持ち帰り、ベッドメークのおばさんに見せると、欲しいと言われて、すべて差し上げたので、結果は、すべて無くなったのである。
それでも、いいとおばさんが言うので、差し上げた。

その際の写真撮影は、すべてK氏が行ってくれた。
更に、通訳も。

そのうちに、一人の女性が来た。
代表の方である。
私に、是非、名刺を下さいと、K氏が伝えてくれた。

私は、英語の出来る女の子と、代表に、名刺を差し出した。
代表の方は、お礼の手紙を書きたいと言う。

その場でも、お礼の言葉を頂いたが、更に、手紙を下さるというのである。

次回からは、直接、こちらに向かってもいいようだと、思った。
衣類支援は、私たちのみである。

難民の皆さんは、仕事をするが、タイ人がしない仕事をする。
そして、得るお金も、タイ人の半分以下である。
とても、生活することが、大変である。

住む場所も、小屋などを建てて暮らしていたが、この支援団体が住まいを用意したのだ。だが、それでも、生活費は自分で賄う。


食べなければ死ぬ。だから、食費に掛ける。
衣類は、後回しである。

安いといっても、お金が必要である。
更に、衣類は長く持つ。そして、小さくなったら、別の人に上げる。
着回す人もいる。

兎に角、役立つのである。
日本では、大量に捨てられる衣類。
だが、ここでは大変貴重なものになる。

皆さんと、写真を撮ることにした。
とても楽しそうだ。

そして、何度も、さようなら・・・
タイ語、英語、日本語が混じる。
私は、大きな声で言う。

また、来ますよ・・・



posted by 天山 at 04:40| タイ・ビルマ戦線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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