2013年02月18日

もののあわれについて603

渡り給ふことも、あまりうちしきり、人の見奉りとがむべき程は、心の鬼に思しとどめて、さるべきことをし出でて、御文の通はぬ折りなし。ただこの御事のみ、明け暮れ御心にはかかりたり。なぞ、かくあいなきわざをして、安からぬ物思ひをすらむ、さ思はじとて、心のままにもあらば、世の人のそしり言はむことの軽々しさ、わが為をば、さるものにて、この人の御為いとほしかるべし、限りなき心ざしといふとも、「さてその劣りの列にては、何ばかりかはあらむ。わが身一つこそ人よりは異なれ、見む人のあまたが中にかかづらはむ末にては、何の覚えかはたけからむ。異なることなき納言の際の、二心なくて思はむには、劣りぬべき事ぞ」と、自ら思し知るに、いといとほしくて、「宮、大将などにやゆるしてまし、さてもて離れいざなひ取りては、思ひ絶えなむや。いふかひなきにて、さもしてむ」と思す折りもあり。




おいでになることも、たび重なり、人目に立ちそうになると、気がとがめるので、自制して、しかるべき用事を作り、お手紙の通わないときはない。姫のことばかりが、朝も晩も、心を離れないのである。
どうして、こんなつまらないことをして、不安に心を苦しめるのか。苦しむまいと思って、思いのままに振舞えば、それは、世間の噂になる軽率な振る舞いである。自分のことは、それはそれで、しばらく置いて、この女にとっては、気の毒なことになる。際限もなく、好きだといえば、春の上の待遇には劣らないほどには、自分ながら、できないとわかっている。そういうことで、それ以下の待遇の一人として、どれほどの幸せといえるだろう。自分だけは、誰よりも、立派だが、愛している女が大勢いる中に入り、末席にいるのは、何の取り立てて言うほどのことはない。たいしたことのない、大納言くらいの身分の者が、ただ一人の妻として、愛するなら、そのほうが、いいだろう。と、自身がわかっているので、たいそう気の毒で、いっそ、宮か、髭黒の大将などに、やってしまおうか。そうして、自分も離れて行き、あれも誰かが連れていったら、諦めようか。つまらないが、そうしょうと、考える時もあるのだ。

春の上、とは、紫の上のこと。紫に対する愛情。




されど渡り給ひて、御容貌を見給ひ、今は御琴教へ奉り給ふにさへことつけて、近やかに馴れ寄り給ふ。姫君も、初めこそ、「むくつけく、うたて」とも思ひ給ひしか、「かくてもなだらかに、うしろめたき御心はあらざりけり」と、やうやう目なれて、いとしも疎み聞え給はず、さるべき御答も馴れ馴れしからぬ程に聞え交しなどして、見るままに、いと愛嬌づき、かをりまさり給へれば、なほさてもえ過ぐしやるまじく思しかへす。「さばまた、さてここながらかしづきすえて、さるべき折々に、はかなくうちしのび、物をも聞えて慰みなむや。かくまだ世なれぬ程のわづらはしさこそ心苦しくはありけれ。自ら関守強くとも、物の心知りそめ、いとほしき思ひなくて、わが心も思ひ入りなば、繁くともさはらじかし」と思しよる、いとけしからぬ事なりや。いよいよ心安からず、思ひ渡らむも苦しからむ、斜に思ひ過ぐさむ事の、とざまこうざまに難きぞ、世づかずむつかしき御かたらひなりける。




しかし、渡りになって、姿をご覧になり、今では、和琴を教えるという口実で、傍に近づくのが常になり、姫の方も、初めのうちこそ、気味が悪く、嫌だと思っていたが、このようにしていても、穏やかで、心配することはないと、次第に慣れて大して嫌がりもしない。お答えすることは、親しすぎない程度に、気をつけて申し上げる。だが、源氏は、見れば見るほど、可愛らしさがまして、美しさが増すので、やはり、人と結婚させられないと、気が変わるのである。
源氏は、それでは、ここに置いたまま、婿を通わせることにして、適当な機会があれば、目立たないように、こっそりと会って話をして、心を慰めることにしょうか。このように、まだ男を知らないうちは、手を出すのも面倒で、それで可愛そうにも思うが、いくら関守が手ごわくても、男を知り、こちらも可哀想と思う気持ちがなく、熱心に口説いたら、人目は多くても、邪魔になるまい。と、考える。実に、けしからぬ考えである。
そうなったら、ますます、気が気でなくなる。恋し続けることは、苦しいことであろう。適当に済ますことは、何かにつけて、出来そうもないというのが、世にも珍しい、複雑なお二人の間柄である。

作者が、時々、口を挟む。
物語に作者が、介入して、複雑にしている様子である。

関守とは、夫のことを言う。




内の大殿は、この今の御女のことを、殿の人も許さず軽み言ひ、世にもほきたる事、とそしり聞ゆと聞え給ふに、少将の、事のついでに、太政大臣の源氏「さることや」と問ひ給ひし事語り聞ゆれば、笑ひ給ひて、内大臣「さかし。ここにこそは、年ごろ音にも聞えぬ山がつの子迎へ取りて、物めかしたつれ。をさをさ人の上、もどき給はぬ大臣の、この辺の事は、耳とどめてぞおとしめ給ふや。これぞ覚えある心地しける」と宣ふ。




内大臣は、今度の新しい姫様のことを、邸の者も、姫として認めず、姫らしくないと申して、世間でも、馬鹿げたことと非難している、と、耳にされて、そこにまた、次男の少将が、話のついでに、太政大臣の源氏が、本当のことか、と尋ねたことを、申し上げると、笑って、その通り。私のところでは、長年、噂にも聞かなかった、卑しい山育ちの子供を引き取り、大事に育てている。めったに人の悪口を言わない大臣が、私の家のこととなると、聞き耳を立てて、悪口をいうのだ。それで、面目をほどこした気がする、とおっしゃる。

源氏に対する、批判である。

覚えある心地しける
源氏や世間に認められたという、気持ちである。




少将の「かの西の対にすえ給へる人はいとこともなきけはひ見ゆる辺になむ侍るなる。兵部卿の宮など、いたう心とどめて宣ひわづらふとか。おぼろけにはあらじとなむ、人々のおしはかり侍める」と申し給へば、内大臣「いで、それはかの大臣の御女と思ふばかりの覚えのいといみじきぞ。人の心皆さこそある世なめれ。必ずさしもすぐれじ。人々しき程ならば年頃聞えなまし。あたら大臣の、塵もつかずこの世には過ぎ給へる御身の覚え有様に、おもだたしき腹に、女かしづきて、げに疵なからむ、と、思ひやりめでたきがものし給はぬは、大方子の少なくて、心もとなきなめりかし。劣り腹なれど、明石のおもとの産み出でたるはしも、さる世なき宿世にて、あるやうあらむと覚ゆかし。その今姫君は、ようせずは、実の御子にもあらじかし。さすがにいと気色ある所つき給へる人にて、もてない給ふらむ」と、言ひおとし給ふ。




少将が、あちらの西の対に置いていられる方は、特に欠点のないように思われる方のようです。兵部卿の宮など、たいそう熱心に、求婚しているとか。並大抵の姫君ではあるまいと、世間では思っている様子です。と、申し上げると、内大臣は、さあ、それは、あの大臣の姫君と思うだけで、評判が高いのだ。人の心は、皆そういうことだ。きっと、それほどよくないだろう。相当な生まれの姫であれば、今までの間に、評判になっていたはず。惜しいことに大臣は、ほんの少しも悪く言われず、この世には、過ぎた方で、御信望であり、御様子であり、れっきとした北の方に、姫を大事に育てて、いかにも、あの方の姫らしく、欠点がないであろうと、評判になる、立派な方がいないのだ。大体、お子様が少なく、ご心配なのだろう。妾腹ながら、明石の御方の産んだ姫は、あの通り、またとない運命に恵まれて、将来は、たぶんと、思われる。しかし今度の姫は、悪くすると、本当のお子様ではないかもしれない。ああいう方ながら、一風変わったところがある方なので、わざとしているのだろう。と、悪口を言う。

当時の身分というものが、よくわかる。




posted by 天山 at 00:01| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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