2013年02月15日

もののあわれについて600

かく聞き給ふにつけても、「対の姫君を見せたらむ時、またあなづらはしからぬ方にもてなされなむはや、いとものきらきらしく、かひある所つき給へる人にて、よきあしきけぢめも、けざやかにもてはやし、又もて消ち軽むることも、人に異なる大臣なれば、いかにものしと思ふらむ、覚えぬさまにて、この君をとし出でたらむに、え軽くは思さじ、いと厳しくもてなしてむ」など思す。夕つけゆく風いと涼しくて、帰り憂く若き人々は思ひたり。源氏「心安くうち休み涼まむや。やうやうかやうの中にいとはれぬべき齢にもなりにけりや」とて、西の対に渡り給へば、君達みな御送りに参り給ふ。




そのような話を耳にされるにつけて、もし対の姫君を見せたなら、これは大切にするであろう。大変はっきりと、立派に処置をつける人で、善悪の区別も明確で、良いのは、誉め、反対に悪いものは、けなすことも人より強い大臣だから、どんなに、私をけしからんと思うだろうか。思いもよらない形で、この姫を見せたら、軽く扱うことは、出来ない。堂々とした、待遇をするだろう、と、思うのである。
夕方らしくなる風が、涼しく吹いて、帰りにくく若い人たちは、思う。源氏は、気楽に休んで、涼んではどうか。このような、若い人々の中では、嫌がられる年になってしまった。と、おっしゃり、西の対に渡りになられるので、若い人たちは、皆、御伴して、西の対においでになった。




黄昏時のおぼおぼしきに、同じ直衣どもなれば、何ともわきまへられぬに、大臣、姫君を、「すこし外出で給へ」とて、忍びて、源氏「少将侍従など率てまうで来たり。いとかけり来まほしげに思へるを、中将のいと実法の人にて率て来ぬ、無心なめりかし。この人々は、皆思ふ心なきならじ。なほなほしき際をだに、窓の内なるほどは、程に従ひて、ゆかしく思ふべかめるわざなれば、この家のおぼえ、内々のくだくだしきほどよりは、いと世に過ぎて、ことごとしくなむ言ひ思ひなすべかめる。かたがたものすめれど、さすがに人のすきごと言ひ寄らむにつきなしかし。かくてものし給ふは、いかでさやうならむ人の気色の、深さ浅さをも見むなど、さうざうしきままに願ひ思ひしを、本意なむ適ふ心地しける」など、ささめきつつ聞え給ふ。御前に、乱りがはしき前裁なども植えさせ給はず、なでしこの色をととのへたる、唐の大和の、ませいとなつかしく結ひなして、咲き乱れたる夕映いみじく見ゆ。皆立ち寄りて、心のままにも折り取らぬを、飽かず思ひつつやすらふ。




黄昏時の、薄暗い時に、同じ直衣姿なので、誰とも区別がつかないが、大臣は姫君に、少し外へ出なさい、と勧めて、人に聞えぬように、少将や、侍従を連れて来ました。前々から、飛んで来たいほどの気持ちらしいが、中将が真面目で、連れてこないのは、思いやりの無いことだ。この人々は、いずれも気がないはずはない。つまらない身分の女であっても、深窓に育てられている間は、身分相応に心惹かれる思いがするものだから、当家の評判は、実際にごたごたしているわりに、それはもう、実際以上に、大袈裟に世間では言うし、思っているようだ。それは、当家には、幾人も女君がいないからだが、しかし男が恋を仕掛けるには、相応しくない。あなたが、こうして、おいでなのは、何とかして、そのような男の熱意の程を見たいと、退屈のあまり、願ったのだが、望みの叶う気持ちがした。など、小声でおっしゃる。
庭先に、前裁などは、植えさせず、色の配合を美しく整えた、唐なでしこや、大和なでしこが、低い垣を柔らかく造り、咲き乱れたなでしこが、夕日を受けているのは、素晴らしい。
一同は、なでしこの所に立ち寄り、思うに任せて、折り取るわけにもゆかないのを、物足りなく思いつつ、佇んでいる。

何とも、源氏の、好き心が、意地悪い様子である。
退屈なので、男たちの心の様子を見て、楽しんでいるのである。




源氏「有職どもなりな。心もちいなどもとりどりにつけてこそ目安けれ。右の中将は、まして少し静まりて、心恥づかしき気まさりたり。いかにぞ訪れ聞ゆや。はしたなくも、なさし放ち給ひそ」など宣ふ。中将の君は、かくよき中に、すぐれてをかしげになまめき給へり。源氏「中将を厭ひ給ふこそ大臣は本意なけれ。交りものなく、きらきらしかめる中に、おほきみだつ筋にて、かたくななりとにや」と宣へば、玉葛「来まさば、と言ふ人も侍りけるを」と聞え給ふ。源氏「いでその御肴もてはやされむさまは願はしからず。ただ幼きどちの結び置きけむ心も解けず、年月へだて給ふ心むけのつらきなり。まだ下ろうなり、世の聞き耳軽しと思はれば、知らず顔にてここに任せ給へらむに、後めたくありなましや」など、うめき給ふ。さは、かかる御心のへだてある御中なりけり、と聞き給ふにも、親に知られ奉らむことの何時となきは、あはれに、いぶせく思す。




源氏は、教養のある連中だ。心遣いも各々、それぞれ違うが、いずれも欠点が無い。右の中将は、いっそう、他の人以上に落ち着きがあり、こちらが恥ずかしくなるようだ。どうだね。便りを差し上げているか。きまり悪がらせるように、突っ放しされるなよ。などと、おっしゃる。
中将の君は、このような、立派な人の揃った中でも、際立って見た目も素晴らしく、優美なお姿である。源氏は、中将を嫌いになるとは、大臣も心外だ。一族だけで、立派にやっている中に、王族の血筋では、感心しないというのかな。と、おっしゃると、玉葛が、来て下されば、姫君にと言う人も、ございましたものを、と、申し上げる。
源氏は、いやいや、そんなに大事にしてくれとは、望まない。ただ、幼い者同士が契りあうという胸の思いも晴れないままで、二人を長い年月、隔てている大臣のやり方が、恨めしい。まだ身分が低い、外聞が良くないと思うなら、知らん顔で、私に任せてくだされば、心配はいらないことだ。など、不愉快そうである。
それでは、こんなしっくりしない、御二人であったのかと、耳にされるにつけても、実の親にお会いするのは、いつか解らないと、しみじみ悲しく思うのである。

有職とは、教養人のこと。

右の中将とは、柏木のこと。内大臣の長男である。

あはれに いぶせく思す
ここでは、しみじみと、悲しく思う。
いぶせく、は、気が塞ぐという意味。

夕霧と、雲居雁との関係を話している。

常夏は、書写していると、とても難しいので、筆が別人だと感じる。

事の次第の描写が、細かいのである。




posted by 天山 at 08:25| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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