復古神道から出た人々を、古神道家と呼ぶのは、軽薄過ぎる。
更に、霊界云々についても、それは一人が見た世界であり、それを誰も同じように見ることは出来ないのである。
一人一派と呼んでもいいし、あるいは、一人の妄想と言っても良い状態である。
つまり、古神道というものが、いつから、何処から発生したのかを、明確にしなければならないということである。
明確に言う。
それは、縄文期からのものである。
弥生時代からのものは、古神道とは、言わない。
つまり、弥生時代に、稲作を持ち込んだ、渡来系の人たちの時代である。
だが、その稲作も、弥生時代からではなく、縄文時代の後期、500年ほどから始まっている。
縄文と、弥生の違いは、争いである。
争いが始まったのが、弥生時代からである。
それは、渡来系、天孫族という。
そして、それ以前からの民族を、国津系という。
つまり、弥生時代の、渡来系が、その権力を持って、部落を統一するということから始まった、争いである。
それが、現在の皇室である。
要するに、天皇とは、天孫族、渡来系であると、いえる。
そして、その皇室の伝統が、神道の型に収まって行く。
これは、事実である。
これにより、天皇の存在を否定するものではない。
その天皇の歴史は、すでに、2700年に渡るのである。
世界に唯一の伝統ある、家系である。
さて、古神道と言う場合は、縄文時代の心性を言う。
だから、復興神道、あるいは、新興宗教にて言われる古神道は、別物、あるいは、誤り、そして、勘違いである。
更に、嘘である。
特に、大本教などの、古神道という場合は、大本教による、古神道である。
それを広義の意味では、扱わない。
すべからく、大本教は、復古神道による情報によって、古神道を再現したのである。
全く、論外である。
それでは、縄文期の心性を古神道と呼ぶためには、文献が必要である。
だが、それは、心性であるから、文献は無い。
ただ、縄文期の人々の生活から、推し量ることが出来る。
その一つは、森羅万象、天地自然に対する、行為である。
そのすべてに、霊性を受けて生活していたのである。
つまり、天地自然がすべて、霊である。
アニミズム・・・精霊信仰・・・とは、別物である。
精霊ではない。
目に見える、森羅万象、天地自然を、崇め、そして、共感し、共生したのである。
そり中には、争いが無いというのが、特徴である。
後に、その行為が、和、という言葉で表現される。
和を以って、貴し・・・
これが、仏教によるものと、考える人々が多いが、縄文期は、すでに和という、心性を有していた。
わア、である。
大和言葉による、アという、音は、開く、明るいなどの意味である。
つまり、縄文期には、一音に意味を見出している。
それ連綿として、続いてきたのである。
だが、大量に漢籍が入る600年代に、すべての和言葉、大和言葉を、漢字で表現するという試みがなされた。
漢字が優れていると、考えたのである。
そして、それは、日本語を更に、豊かにしたといえる。
今でも、漢字には、音読みと、訓読みがある。
音読みは、漢語の意味であり、訓読みは、大和言葉である。
それを併用して、表現の広がりを持つに至った。
大和言葉の、一音は、シラブルである。
漢字は、シラブルではない。つまり、一字に観念が付く。
この、漢字かな混じり文が、日本人の心を、広く自由にしたと思える。
だが、和歌における、言葉は、すべて大和言葉による。
それが、万葉集である。
その、万葉集が、縄文期から、準備されていたのである。
突然に、出来上がったものではない。
文献は、万葉集である。
古事記、日本書紀よりも、成立が早い。
そこに、手掛かりがある。
古神道とは、縄文神道である。
そして、弥生神道は、神社神道へと、進む。
更に、弥生神道は、後に、道教、儒教、そして、仏教による、手垢が付く。
勿論、それも、伝統と言える。
何故なら、廃れずに、今にまで至るのである。
それでは、縄文神道、更に、純粋神道、つまり、古神道とは、何か。
同じ繰り返しになる。
森羅万象、天地自然に、神を見るのである。
この、神と言う言葉は、当時は、無い。
漢籍が入り、神という文字が入り、次第に定着する。
その当時は、仏も神と同じ意識である。
つまり、仏を隣の神と呼んだのである。
明確ではない。実に、曖昧である。
だが、大和言葉の中に、カミと呼ぶべき存在の萌芽があった。
それが、カミの連語である、カマ、カム、カミの系列である。
端的に言う。
カミの役割は、分配する者である。
それは、人間から超越したものではない。
だから、その役目を負う者を、カミと呼んだ。
それが、いずれ、天皇という存在に成り上がるのである。
ちなみに、それを理解する手立ては、カミとは、守、督などとも書く。
大岡越前守、おおおかえちぜんのかみ、である。
その地域を治める者である。