2013年01月08日

もののあわれについて595

今はただ大方の御睦にて、おましなどもことごとにて大殿籠る。などてかく離れそめしぞ、と殿は苦しがり給ふ。大方、何やかやともそばみ聞え給はで、年頃かく折り節につけたる御遊びどもを、人づてに見聞き給ひけるに、今日めづらかしかりつる事ばかりをぞ、この町のおぼえきらきらしと思したる。




今では、ただ一通りの仲である。寝床なども、別々で、お休みになる。何故、このように別々になったのだろうと、源氏は、嫌になるが。まあ、花散里は、あれこれと、嫉妬もせず、長年、こうした折節にちなむ遊びも、人伝に聞くのみで、今日は珍しくこちらであった、ということで、この御殿の名誉だと思うのである。

きらきらしと思したる
華やかで、目立つことであり、それが、名誉と思うのである。




花散里
その駒も すさめぬ草と 名にたてる 汀のあやめ 今日や引きつる

とおほどかに聞え給ふ。何ばかりのことにもあらねど、あはれと思したり。

源氏
にほどりに 影を並ぶる 若ごまは いつかあやめに ひき別るべき

あいだちなき御言どもなりや。朝夕の隔てあるやうなれど、かくて見奉るは心安くこそあれ」と、戯れごとなれど、のどやかにおはする人ざまなれば、しづまりて聞えなし給ふ。床をば譲り聞え給ひて、御凡帳引き隔てて大殿籠る。気近くなどあらむ筋をば、いと似げなかるべき事に、思ひ離れて聞え給へれば、あながちにも聞え給はず。




花散里
馬さえ食べない草と評判の、岸辺のあやめのような私を、今日は節句なので、引き立ててくださったのですか。
と、おっとりとして、申し上げる。たいしたことはないが、源氏は、心を打たれた。

源氏
夫婦仲のよい、にお鳥と影を並べる、若駒の私です。いったい、菖蒲と、あなたと、別れたりするものですか。

愛想の無い歌ですよ。と、源氏は、常日頃は、離れているようですが、こうして、お目にかかると心が休まります。と、冗談にも言うが、相手が、おっとりとしているので、しんみりとした話し方である。御帳台は殿に譲り、御凡帳を隔てて、お休みになる。一緒に寝るということは、全く不釣合いなことと、すっかり諦めているので、無理に言うことも無い。




posted by 天山 at 23:53| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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