2013年01月03日

ミャンマー難民孤児に逢う5

メーソートには、協力者がいる。
日本人のHさんである。そして、その家族。

更に、最後の日本兵と言われた、中野さんの家族である。
メーソートでは、必ず中野さんの遺骨のある家に行き、慰霊をする。

それは、とても心強い。何故か。
現地で、様々な手配をしなければならない。
特に、車である。そして、現地の場所。

何処にあるのか・・・
それは、大変な手間になる。

だが、メーソートでは、すんなりと場所が解った。

今回は、Hさんと、娘さん二人、中野さんのお孫さんの運転である。
帰りの空港には、中野さんの息子さんが見送ってくれた。

これだけでも、大半が現地の人によるもの。
私たちは、ただ、連れられて行くだけである。

感謝しても、足りない。

そういう出会いを感謝する。
また、そういう出会いをもたらすもの、縁に不思議を感じる。
Hさんは、メーソート支部である。
支援物資は、皆、Hさんに送る。その管理も任せている。

それは、フィリピン、ネグロス島でも、インドネシア、バリ島でも、現地の人の協力で成り立つ。

ジャカルタでも、私の車を使って下さいと言う方に、スラバヤで出会った。
タイ、バンコクの孤児施設にも、知り合いが出来て、いつでも行く事が出来る。だが、まだ、実現していない。

何せ、バンコクの入国審査官にも、何かあれば、わたしに連絡をと言われたのである。

東南アジアの国際空港では、着物姿の私は、目立つ。
何度か出掛けていると、覚えられる。

着物を着る利点は、沢山ある。
日本人だと、すぐに解る。
審査もスムーズだ。

タクシー料金で、空港の前で騒ぐ事を知る人たちは、私に安いバイクタクシーなどを紹介する。

カンボジアのプノンペンでは、おかしいほどだ。
係員が飛んでいる。
バイクタクシーのチケットを持ってくる。

インドネシア、ジャカルタの空港では、毎回、タクシー乗り場のおじさんたちと、やりあう。
これに乗れ・・・乗らない、メータータクシーだ・・・駄目だ、これだ・・・嫌だ・・・

そのうちに、メータータクシーの運転手が手を上げてくれる。

グアムの空港だけは、行きたくない。
乗り継ぎでも、嫌だ。
何せ、パンツ一貫になり、下手をすると、牢屋行きだった。
それに、皆に覚えられた。

帰りの乗り継ぎの際に、コーヒーを飲んでいると、検査官、空港警察の人たちが、声を掛けてくる。
あれは、安全のために、やっているからさ・・・
顔から、火が出る。

様々な出会いは、楽しい。

インドネシア、ジャカルタの空港で、朝の便を一人で待っていた。
おじさんが、ホテルに行かないのと、声を掛けてくる。
ここまで待っている。
すると、近くのホテルで送迎無料で、安く泊まれるよと、教えてくれ、電話をしてくれた。それから、そのホテルを利用するようになる。

現地の人でなければ解らない情報である。

その時も着物。
おじさんに言われた。インドネシアと日本は、兄弟だ。

兎に角、現地の人の協力は、絶大である。

パラオ、ペリリュー島の慰霊の時は、現地の女子大生が案内してくれた。
子供の頃からの、島の中をスイスイと車を飛ばして、移動した。
車を頼むと、大変な料金になった。

50ドルのお礼でも、彼女は、嬉々として喜んだ。

一人で、ペリリューの島の中に入れば、確実に、迷う。

それで、兎に角話し掛けること・・・
挨拶でも、何でも、ブロークン英語で・・・喋る。

相手も、ブロークンなら、大変によい。
通じるのだ。

更に、子供たちは、日本語でも、通じる。
勘である。

メーソートで、一人の男の子にぬいぐるみを上げると、一人の女の子が出て来た。
欲しい・・・と聞くと、頷く。
日本語である。
その子は、口が利けない子だった。
つまり、耳が悪い。

私の日本語が通じていた。
ぬいぐるみを渡した時の、喜びの顔は、忘れられない。

きっとこれから、毎晩抱いて寝るだろう。

フィリピン、マニラ、セブ島、レイテ島、ネグロス島のストリートチルドレンは、日本語でも、通じる。
勿論、ジェスチャーが入る。

もしかして、これが私の豊かさ・・・と、思う。




posted by 天山 at 00:02| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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