誉められることは忘れるが、けなされることや、中傷されることは、中々忘れないもの。
まず、慰霊に関しては、変な理屈を捏ねられる。
英霊といえば、誰もが何も言えない・・・
だから、云々・・・
あまり、意味の無い中傷なので、忘れる。
更に、宗教・・・
追悼慰霊が、宗教と結びつくという・・・
慰霊の行為は、極めて私的な感情である。
それはまた、公開しなくてもいいもの。
何故、公開したのか・・・
それは、衣服支援を始めたから。
それでは、最初からの、流れを説明する必要がある。
更に、衣服支援が広く大きなことになった。
ボランティアという言葉が必要になる。
そして、このボランティアという言葉には、様々な憶測推測がつく。
無償の行為であるから・・・
実に、難しい。
もし、それに意味をつけて理解させるとしたら・・・
宗教の布教が一番、手っ取り早い。
だが、無償の行為である。
無償の行為を説明するほど、難しい事は無い。
更に、衣類を支援してもらうための説明である。
信じてもらうしかない。
横流しすることは、衣類支援のみならず、多くの支援に付き物である。
特に、お金の支援は、最も、恐ろしい。
何に使われたのか、解らないのである。
更には、個人の懐に入ってしまうことも多々ある。
そして、ボランティア行為の、偽善性である。
それは、私がボランティアなる行為をはじめた、13歳頃からあった。
一度や二度の、ボランティアは、正に、偽善的である。
ただ、語源から見ると、ラテン語からのもので、生きる意味意識という意味。
だから、本当に語源通りに行為すると、それは、私の生きる意味意識に関することになる。
更に、ボランティアをするには、される側の人間が必要なことである。
ボランティアをするには、して上げるべき人が必要なのである。
それを憐れむのか、否か。
だから、ボランティアをする人は、よく、こちら側が元気を貰った、勇気を貰ったなどという羽目になる。
ボランティアは、最初から、こちら側の問題なのである。
更に、何もしない人には、とても偽善に見えるし、また、嫉妬も起きる。何故なら、いい格好しいと、映るからである。
そしてそれは、いい格好しいという、最も偽善的な思考をするからである。
だが、語りは、行為に適わないことを私は知っている。
矢張り、やった者が正しい。
そして、やり続けた者が勝つのである。
何故なら、生きることは、行為することであり、その表現によるものであるからである。
無償の行為は、相手に何も求めないが、それより、相手を必要とするというところに、大きな意味がある。
助ける相手がいなければ、成り立たないのである。
だから、相手の存在に感謝するしかなくなる。
必要としない人に、その行為は、出来ないのである。
必要とする人がいる、それが、ボランティアの救いである。
だから、その行為に対して、何かを言われても、せん無いことなのである。
更に、もっと、根元的な、言い分がある。
何故、国内でしないのか・・・
これが、言う者の、大きな言い分になる。
それは、とても、卑劣である。
それでは、国内でしていることを、延々として書いたら・・・
どう思うだろうか・・・
私は、国内でも、しているからである。
それこそ、嫌味である。
聖書作家がイエスに言わせる言葉がある。
右の手が良い事をする時は、左の手に知らせるな・・・
つまり、良いことをする時は、誰にも知られないようにせよ、である。
隠れておられる神だけが知るように・・・
祈りも、そのように言う。
それは、当時のユダヤ教の偽善に満ちた時代であるから。
養護施設に、マンガの主人公の名で、ランドセルを贈る人がいた。
マスコミは、それを讃えて紹介する。
しかし、偽善的な人には、それは、実に嫌味な行為と見なされる。
この世は、そのような人の集まりなのであるから、当然である。
更に、慈善家とは、金持ちがやることと、勘違いしている人がいる。
そして、そういう人たちは、インドのマザーテレサのことを勘違いする。
あれだけの、大きな慈善をするということは、経済感覚がとても立派だということである。
マザーテレサの経済学まで、書かれるほどなのである。
金を集める才能があったのである。
祈りで、金は集まらない。
そして、世界のカトリック信者を背後につけた。
とても、一筋縄ではいかない人である。
ノーベル平和賞まで受賞して、この世の名誉を存分に受けた。
私は、マザーテレサのようなシスターを多く知るが、誰も、そのようにならないのである。
資金が無くなった際に、私も宗教団体を考えた。
宗教の教組になるのではない。
宗教団体を背後に付けるのである。
だが・・・
少しばかり、私は頭が良かった。
この活動を宗教の広告塔にしてはならない。
単なる、私的な極めて私的な行為でいいのである。
私が死ねば、それで終わる。
その意思さえ、無くなる。
それで、いい。
後に続く者・・・
そんなことを、考えたこともない。
こんなことは、私一人で十分である。
それほど、どうでもいいことなのである。
更に、語り継がれるほどの、馬鹿ではない。