2012年12月06日

もののあわれについて591



今はかく重々しき程に、よろづのどやかに思ししづめたる御有様なれば、頼み聞えさせ給へる人々、さまざまにつけて、皆思ふさまに定まり、ただよはしからで、あらまほしくて過ぐし給ふ。対の姫君こそ、いとほしく、思ひのほかなる思ひ添ひて、いかにせむと思し乱るめれ、かの督が憂かりしさまには、なづらふべきけはひならねど、かかる筋に、かけても人の思ひより聞ゆべき事ならねば、心ひとつに思しつつ、さま異にうとましと思ひ聞え給ふ。何事をも思し知りたる御よはひなれば、とざまかうざまに思し集めつつ、母君のおはせずなりにける口惜しさも、またとりかへし惜しく悲しく覚ゆ。大臣も、うち出でそめ給ひては、なかなか苦しく思せど、人目をはばかり給ひつつ、はかなき事をもえ聞え給はず、苦しくも思さるるままに、繁く渡り給ひつつ、お前の人遠く、のどやかなる折りは、ただならず気色ばみ聞え給ふごとに、胸つぶれつつ、けざやかにはしたなく聞ゆべきにはあらねば、ただ見知らぬさまにもてなし聞え給ふ。




今は、こうして、重々しい身分で、何事も騒がずにいられる生活ゆえ、頼りにする方々も、それぞれ身分に応じて、残らずに、希望通り、落ち着いて不安も無く、望み通りに日を送っている。対の姫君だけは、可哀想に、思いもかけない苦労が一つ増えて、どうしようかと、困っている様子。あの丈夫の督の、いやらしい様子に比べれられるものではないが、こんなこととは、まさか誰も気づくまいから、一人で悩み、変なこと、嫌な話と、殿を思うのである。何もかも解る年頃なので、あれやこれやと、考えて、お母様がいらっしゃらないせいと、残念に、改めて、事新しく口惜しく、悲しく思われる。源氏の大臣も、一度口にしてからは、かえって苦しく思うのに、足しげく、お出でになり、お付の者も離れて、静かな時に、我慢できず、意中を打ち明ける、そのたびに、姫は、どきりとするが、きっぱりと、拒絶して、恥をかかせる訳にはゆかないので、ただただ、気づかぬ振りをして、お相手している。

これは、作者の情景描写である。
三人称で、語るのである。

対の姫とは、玉葛である。その心の苦しみを言う。

かかる筋に
養父の源氏が、養女の玉葛に、言い寄ることを言う。

のどやかなる折りは
人の来ない時間が、長い時である。




人ざまのわららかに、気近くものし給へば、いたくまめだち、心し給へど、なほをかしく愛敬づきたるけはひのみ見え給へり。兵部卿の宮などは、まめやかにせめ聞え給ふ。御労の程はいくばくならぬに、さみだれになりぬる憂へをし給ひて、宮「少し気近く程をだに許し給はば、思ふ事をも、片端はるけてしがな」と聞え給へるを、殿御覧じて、源氏「なにかは、この君達のすき給はむは、見所ありなむかし。もと離れてな聞え給ひそ」と教えて、源氏「御返り時々聞え給へ」とて、教えて書かせ奉り給へど、いとどうたて覚え給へば、玉葛「みだりごちあし」とて聞え給はず。




姫は、人柄が、快活で人なつっこくしていられるので、酷く真面目に構えて、用心されるが、それでも、可愛く愛敬のある様子である。兵部卿の宮などは、熱心に口説くのである。名のりを上げてから、まだそれほど経ていないのに、五月雨になったと、泣き言をおっしゃり、もう少し、お傍近くに寄ることを、許して下さるなら。心のうちを少しは、晴らしたいものです、と言って寄越すのを、殿が御覧になり、なに、構わない、この方々が懸想されるところは、見るだけの事はあるだろう。あまり、素気無い扱いはしないように、と諭して、お返事は、時々上げなさいと教えて、書かせるが、益々、不愉快に思うので、玉葛は、気分が悪いと、書かないのである。

五月雨になった
つまり、当時は、五月は結婚を忌むという風潮があった。




人々も、ことにやむごとなく寄せ重きなどもをさをさなし。ただ母君の御叔父なりける。宰相ばかりの人の女にて、心ばせなど口惜しからぬが、世に衰へ残りたるを、尋ねとり給へるぞ、宰相の君とて、手などもよろしく書き、おほかたもおとなびたる人なれば、さるべき折々の御返りなど書かせ給へば、召し出でて、言葉など宣ひて書かせ給ふ。ものなど宣ふさまを、ゆかしと思すなるべし。正身は、かくうたてあるもの嘆かしさの後は、この宮などはあはれげに聞え給ふ時は、少し見入れ給ふ時もありけり。何かと思ふにはあらず、かく心憂き御気色見ぬわざもがな、と、さすがにされたる所つきて思しけり。




女房達も、特に家柄がよいとか、勢力のある家の者はいない。ただ一人、母君の叔父に当る、宰相程度の人の娘で、性質など悪くないが、落ちぶれて暮らしていたのを、探し出した、女が、宰相の君といい、字なども、みっともなくない程度に書き、すべてに行き届いている人なので、適当な相手に御返事などを書かせるので、呼び出して、言葉などを教えて、書かせるのである。宮が口説くところを見たいと、思うようである。
ご本人は、あの泣きたいような事件の後は、兵部卿などが、情を込めた手紙を寄越すと、少し気を入れて、御覧になる時もある。宮に対して、どう思うということはなく、こんなたまらない、源氏の様子を見ないでいることは、出来ないかと、それでも、女らしさができて、思うのである。

されたる所つきて
女らしさの現れる・・・




少し説明すると、父親の頭中将に知らせもせずに、源氏は、玉葛を、東北の御殿に入れて、育てるのである。
紫の上の状態に、似ている。

そして、娘としてはいるが、自分も恋心を燃やして、言い寄るという・・・
他の、若い貴族たちに、見せびらかし、求婚させておいて・・・

以後、玉葛系の話しが続くのである。
物語の構成云々は、しない。
ただ、当時としては、玉葛系は、物語としては、巧みであるといわれる。
これから、暫く、玉葛の物語である。



posted by 天山 at 10:12| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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