2012年12月05日

もののあわれについて590

またのあした御文とくあり。なやましがりて臥し給へれど、人々御硯などまいりて、御かへりとくと聞ゆれば、しぶしぶ見給ふ。白き紙の、うはべはおいらかに、すくずくしきに、いとめでたう書い給へり。
源氏「たぐひなかりし御けしきこそ、辛きしも忘れ難う。いかに人見奉りけむ。

うちとけて ねも見ぬものを わか草の ことあり顔に むすぼほるらむ

をさなくこそものし給ひけれ」
と、さすがに親がりたる御ことばも、いと憎しと見給ひて、御かへりごち聞えさせらむも、人目あやしければ、ふくよかなる陸奥紙に、ただ玉葛「承りぬ。乱りここちのあしう侍れば、聞えさせぬ」とのみあるに、かやうのけしきはさすがにすくよかなり、と、ほほえみて、うちみ所あるここちし給ふも、うたてある心かな。




翌朝、お便りがあった。気分が悪いと、横になっていたが、女房達が、硯などを差し上げて、お返事をと促すので、しぶしぶ御覧になる。白い紙に、表面は穏やかに、生真面目な感じであるのに、見事に書いてある。
源氏は、またとない、なさりようが辛くて、それがかえって、忘れられない。どように、皆が思いましたでしょう。

許しあい、寝たいのでない。若草は、どうして意味ありげに、塞いでいるのだろうか。

子供のようです。と、それでも、親めいた言葉遣いであり、憎らしいと思い、しかし、返事を差し上げなければ、皆が不審に思うと、厚いみちのく紙に、ただ、
玉葛は、拝見いたしました。気分が優れませんので、お返事は、申し上げません、とだけあるのを、源氏は、こういうやり方は、さすがにしっかりしたものだと、微笑み、口説きがいがある気持ちになるのも、困ったことである。

最後は、作者の言葉である。
つまり、作者は、十分の余裕を持って、物語を書き続けているのである。




色に出で給ひて後は、「おほたの松の」と思はせたる事無く、むつかしう聞え給ふこと多かれば、いとど所せきここちして、おき所なき物思いつきて、いとなやましうさへし給ふ。かくて事の心知る人は少なうて、うときも親しきも、むげの親ざまに思ひ聞えたるを、かうやうのけしきの漏り出でば、いみじう人笑はれに、憂き名にもあるべきかな、父大臣などの尋ね知り給ふにても、まめまめしき御心ばへにもあらざらむものから、ましていとあはつけう、待ち聞き思さむこと、と、よろづに安げなう、思し乱る。




一端、口に出してからは、大田の松、と思わせることもなく、煩く言うことが多いので、姫は益々、動きが取れない気がして、身の置き所のない、悩みの種になり、病気にまでなった。
こういうことで、真相を知る人も少なく、他人も、身内も、この上ない、父親だと思っているのに、このような事情が、外に漏れたら、物笑いになり、嫌な評判が立つだろう。父の内大臣などが、尋ねてくれても、親身な気持ちではないから、他人以上に、考えの無い女だと、お耳にして、思うだろう、と、何から何まで心配になり、心は静まらないのである。

おほたの松
恋ひわびぬ 大田の松の おほかたは 色に出でてや 逢はむと言はまし

いとあはつけう
とても、浮ついている。




宮、大将などは、殿の御けしき、もて離れぬさまに伝へ聞き給うて、いとねんごろに聞え給ふ。この岩もる中将も、大臣の御ゆるしをみてこそかたよりにほの聞きて、まことの筋をば知らず、ただひとへに嬉しくて、おりたちうらみ聞えまどひありくめり。




兵部卿の宮、右大将などは、殿の気持ちが、問題にならないと思うわけでもない、と、人伝に聞いて、酷く熱心に、言い寄るのである。あの、岩もる中将も、殿様の許しがあったと、小耳にはさんで、本当のことを知らず、ただ一筋に、嬉しくて、熱心に口説き、うろうろしている様子である。

岩もる大将、とは、柏木のことである。

まことの筋
本当のことである。つまり、玉葛と、実の兄妹であるということ。

玉葛を、終わる。




posted by 天山 at 06:49| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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