2012年12月01日

平成24年ネグロス島へ16

私を教会に案内し、司祭に会わせてくれた女性は、その夫と一緒にいた。
私は、彼の仕事を聞いた。
すると、日系企業である。

それで、礼儀正しい様子が、理解できた。
上司は、皆、日本人である。

彼女は、連絡先を書いてくれて、次に来た時は、何でもお手伝いすると言った。つまり、イロイロ支部が出来たのである。
兎に角、誰彼に、話しかけてみることだ。
何が始まるか、解らないのである。

さて、その日の午後は、ただ、ストリートチルドレンに会うことだけだった。
彼らを見つけるために、何度もホテルの前、公園を散歩した。

一度、部屋に戻ると、コータが、自分のバックに少し、支援物資が残っているという。
えっ、本当・・・
それでは、ホテル近くの川沿いの、スラムに入ってみようということになった。

その時は、少年の自転車タクシー、シクロを使った。
僅かなものだけだが・・・
折角、来たのだから・・・

シクロの少年は、13歳で英語が出来る。つまり、学校に通っている。学校が終わると、家族を養うために、シロクに乗る。

シクロは、片道、20ペソである。距離は関係ないが・・・
バイクと違い、それほど、遠くには行けない。

スラム・・・酷い暮らしである。
その建物・・・小屋と呼ぶに相応しい。

子供を見つけて、衣類を探していると、続々と家から、人が出て来た。
子供物だが、皆が、とても喜ぶ。
そして、すぐに無くなった。
すると、一人の男が、子供は大勢いるよ・・・と、言う。

次ぎに来た時に、沢山持ってくる・・・と、私が言った。
すると、歓声が上がった。

日の丸を掲げなくても、日本人だと、認識してくれたことが、嬉しい。
これで、本当に支援物資が、無くなった。

もう、明日はマニラに一泊して、その翌日、日本に帰国する。
そして、次は、タイのメーソートに難民の孤児たちに会いに行く。

やれることを、すべて、やった。
ただ、それだけである。
この行為に何か意味があるならば、それは、後々に出てくることだろう。

更に、もう、そういうことも、考えなくなった。
ただ、活動を公開することは、必要なことだ。

それにより、誰かが、刺激を受けてくれればいい。

バコロドで、慰霊をした日の夜に、日本食の店に出掛けたことを、書かなかったが、日本食の店より、その店が開店するまでの間、近くの店で時間待ちをしていた時に、出会った、六名の人たちと、話に花が咲いた。

三人姉妹と、その友人、そして、姉妹の一人の夫である。
私たちが、ストリートチルドレンに衣類を渡していると言った時、その夫が、私に近づいてきて、言った。
僕も、ストリートチルドレンだった、と。

それで、今は、フード店に勤めて、結婚もしている。
それは、大いに希望になった。
ストリートチルドレンの辿る道は、険しい。

学校にも行けないと、仕事に就くことは、実に難しいからだ。
スリ、カッパライ、地元のヤクザのようになる・・・

一番、心配していることだった。
だが、こういう手本があると思うと、心強く思った。

彼らは、とても、親愛の情で、私たちと話してくれた。
日本語の歌も披露してくれた。
お返しに、私も、歌った。

コータは、彼らの連絡先を渡されていた。
こうして、また、新しい付き合いが始まる。

イロイロの市場近くのスラムに行けば、今度は、声を掛けて貰えるだろう。

更に、多くの人たちが、私たちを見ていた。
何の目的で、来ているのかを、知る。
私にとっての、それは、宝である。

そして、このような、情報は、私たちしか、知らない。
とても、重要な情報である。
何処で、ボランティアが必要なのか・・・

更に、慰霊地は、何処なのか・・・
行ってみて、初めて解るのである。

ネグロス島が、フィリピン第三の激戦地だったということは、多くの日本人が知らないことである。

さて、マニラは、一度、盗難に遭った町、パサイ市に泊まった。
空港から近いからという理由である。

相変わらず、ストリートチルドレンが・・・障害者が・・・ホームレスがいる。
幼子を抱いた、三歳の子・・・
胸に迫るものがある。

自然災害と、軍事費に費やされる、国費である。
貧しい国は、大変だ。
しかし、それが、その国の運命なのである。
今、中国に対して、どうしても、軍事を強化しなければならない。
国民の生活は、後手に回る。

出来ることを、するしかない。
日本でも、若者ホームレスが増えている状況である。

日本にも、貧しい子供たちがいる。

私は、東南アジア共同体、アセアンと、南アジアの時代がはじまると、考えている。その中に、プラスワンとして、日本が入る。

それは、平和を基本とした、付き合いになるべく、努力するはずだ。
奪うのではなく、与え合う。
与え合えば、豊かになる。

一つの国では、どうすることも出来なかったことが、多数の国で分配すれば、豊かになる。

その、調整役に日本がなる。
そのためには、日本に対する、信頼である。

ちなみに、バコロド空港も、イロイロ空港も、日本の支援によって、建てられたものである。

日本が、支援大国であることを、国民の多くが知らないことは、不幸である。

アジア、太平洋の国々に、日本が莫大な支援をしていること。
そして、それらの多くの国は、日本に期待と、希望を見ている。

とりあえず、旅日記を終わる。
書いていないことは、多々ある。




posted by 天山 at 07:26| 平成25年ネグロス島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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