2012年11月23日

平成24年ネグロス島へ8

三日目の朝、早く目覚める。
六時前である。
もっとも、日本時間では、七時であるから、遅い目覚めである。

早速、市場のコーヒー屋に向かう。
今度は、ブラックにする。
それに、砂糖を少し。
ネグロス島は、サトウキビの産地であるから、精製前の砂糖がある。

それが、また、いい。
ミルクを入れると、台無しになる。
砂糖でいいのだ。

その日は、朝10時に車が来て、活動開始である。
いや、もう、開始している。

コーヒーを飲んで、ホテル前の公園に行く。
いたいた・・・
ストリートチルドレン、五名である。

近づくと、一人の女の子が、私に手を出す。
オッケー・・・と、言って、口に手をやると、頷く。
そこで、皆を連れて、屋台のチキン揚げ、ご飯を売る店に連れて行く。

私の後ろを、ポンポンと跳ねるように、着いて来る。
皆、四、五歳から八歳程度・・・
もっと、年が上かもしれない。
栄養不足で、小さいのだ。

五人分の食べ物を買って渡した。
はじめて、口を開いた子供たち。
サンキューと言う。でも、それ以上は、解らない。
ただ、パパ、ママは、通じる。
ノー、パパ、ママと、よく尋ねている。

その日だけでも、三組のストリートチルドレンに食べ物を渡すことが出来た。

簡単に言う。
これは、偽善的行為である。
一度ならば、誰でもする。継続してしなければならないのだ。
しかし、私の立場で、出来ることをする。だが、それでも、偽善的行為であると、得心している。

彼らに、毎日、食べ物を与え続ける行為が、偽善を超える。
そんなことは、百も承知、二百も合点、なのである。

私は、彼らに、後でパンツやシャツのプレゼントをすると言う。
この場所でだよ・・・
イッ・ヒアー・・・オッケー
その身振りで、何とか、意思が通じる。

それが、後で大変なことになるのだが・・・・

今日は、特別な日である。
ネグロス島戦没者の追悼慰霊のみならず、フィリピン戦線で亡くなられた、英霊の追悼慰霊である。
いつもより、心が昂ぶる。

一度ホテルに戻り、再度、朝食のために、市場に出掛けて、いよいよ10時である。
車は、早めにホテルに来ていた。

荷物をすべて積み込み、まず、ロザリオ通りから、メモリアル通りに入り、慰霊碑に向かう。

ホテルからは、15分程度の場所である。

もうすでに、日が高く、暑い。
気温は、30度程度であるから、日本の真夏である。

慰霊碑の周囲は、いつも、整然として、清掃されている。
あの、おじさんである。
まだ、姿は、見えないが・・・

早速、私は、慰霊の儀を執り行った。

まず、本日は、国旗を掲げて、君が代を斉唱する。
それは、すでに決めていた。
いつも、その時に、決めるが、本日の行為は、決めていたのだ。

フィリピン戦線で散華した英霊に対し奉り・・・君が代斉唱である。
一切の祈りの言葉無く、黙祷をする。

その慰霊碑の下には、ネグロス島山中で散った日本兵の遺骨が納められている。

黙祷を終えて、慰霊碑の後ろに回り、国旗、日の丸で、清め祓いをする。
その時、ふっと、慰霊碑の円周の内側にある、石に気づいた。

これは・・・
遺骨発見の場所の石ではないか・・・

更に、清め祓いをする。

そして、一通り終わると、あの、清掃をしてくれている、おじさんが、現れた。
私は、日本語で、お元気でしたかと、話し掛けた。
更に、日本語で、いつもありがとうございますと、続けた。

少しばかりの、お礼を渡すと、その息子だろうか、サンキューと丁寧に挨拶する。
おじさんと、写真を撮る。

慰霊碑の横に小さな公園がある。
それも、おじさんが、整理している。

彼は、きっと日本兵の良い面を見たのか、知っているのだろう。
当時は、フィリピン人も、日本に対する感情が悪い人と、良い人がいたのである。

私は、また慰霊に来ると信じて、最後に慰霊碑に、深く頭を下げて、車に乗り込んだ。今回の、最大のテーマが終わった。

ネグロスの
山中にあり
散華する
日本の武士は
今 ここにあり



posted by 天山 at 23:36| 平成25年ネグロス島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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