2012年11月13日

神仏は妄想である。392

土御門家、本来は、安倍である。

安倍神道、天社神道とも呼ばれる。
安倍清明で有名である。

勿論、稀代の詐欺師より、一段劣るが、手品師のような存在である。

土御門神道が、陰陽五行に基づくものというから、まさに、神道の邪道である。
それは、道教からのものである。

中世以降、土御門家によって、陰陽道が管轄されたことにより、その名を持つようになる。

道教の際に、説明した通り、平安期、朝廷をはじめ、貴族、庶民の間にも、広く普及した道教の亜流である。

陰陽寮という、役所が置かれて、方角や日の吉凶、祓いや、祈祷を行う。
また、天文、暦などの研究である。

それを専門にする家を、加茂家と呼び、加茂保憲が、その道の達人と言われた。

この保憲は、陰陽道の暦を、その子の光栄に伝え、天文道を弟子の安倍清明に伝えた。
それ以来、加茂と安倍の両家が、陰陽寮に仕える。

清明は、陰陽道の術を自在に駆使して、様々な不思議を行ったという。
道教に他ならない。

のちに、清明から19代の孫の時に、従三位に叙せられ、土御門の称号を拝した。
本家であった加茂家は、逆転して、土御門に仕えるようになる。

ここにおいて、神道に、道教の考え方が取り入れられることになる。
例えば、鬼門という考え方。丑寅の信仰、干支にちなんだ色々な信仰である。

中世以後の神道哲学に、陰陽道が入り込んだのである。
つまり、堕落である。

悪鬼、妖物を祓い、それを防ぐ、鬼はらいの祭り、みちあえの祭り・・・
神道と、陰陽道が一緒になったものである。

占卜など、神社で行われる祭りであると共に、陰陽師が、それを行ったという。

江戸時代になっても、その勢力が衰えなかったのである。

何事も、うまく取り入れて、新しいものを創るというものではなく、神道の場合は、単なる堕落である。

更に、マジシャンの安倍清明などが、安倍神社などを作るというのは、実にゆゆしきことである。

それに、影響を受けた、吉川神道、垂加神道も、批判の対象にならない。

その第一に上げられる、神道の言葉である、大和言葉に対する、理解がまったく無い。神の名も、道教に準じて付けられている。

そこで、江戸時代の、国学というものが、現れる。
それを復古神道という。

荷田春満、かだのあずままろ、加茂真淵、かものまぶち、本居宣長、平田篤胤の、国学四大人の説が、その本流になるのである。

真淵と、宣長の出会いがいい。
真淵は、万葉集を明らかにすることが最終の目的ではなく、万葉集により、古語を知り、それによって、古典を研究し、古義を明らかにする。そして、古道を鮮明にするという研究を宣長に伝える。

宣長は、古事記伝を完成させた。

更に、宣長没後、それを受け継ぎ、古道思想を発展させたのが、平田篤胤である。

篤胤は、特殊能力があった。

出羽の国秋田から、冬一月に江戸に向かう途中で、遭難しかかった際に、謎の異人に助けられて、その際に、霊法を伝えられたといわれる。
自ら天下を知る神である、久得延毘神、くえびこかみ、のことを伝えられたといわれる。

江戸では、人が変わったかのように古今東西のあらゆる本を読み解き、それを記憶し、著述を続けたという。

更に、宣長の著作に接して、感激し、その門に入った。
宣長の古道を盛んに唱導したという。

更に、神祇伯白川家、吉田家からも、その配下の神職に古道を伝えることを頼まれるようになる。
当時の神社は、白川家か、吉田家に属していたゆえ、全国の神社は、篤胤の復古神道をもって、統一されたという。

更に、彼は、霊能真柱、という死後の世界についての著述をする。
心霊学である。

ところが、そこからが悪い。
中国の医術は、日本の、大己貴神、おおなむちのかみ、少彦名神、すくなひこのかみ、が創始して、それが日本に逆輸入された。
易を創った、フッキも、日本の大国主神である。
インドの帝釈天は、日本の皇産霊神である。
すべての起源が日本にあるとして、日本が世界で一番尊い国である。

上記、これでは、行き過ぎである。

これでは、現代の韓国人と同じである。

それにインドの神は、魔界のものであり、帝釈天が、皇産霊神とは、蒙昧も甚だしい。

だから、遭難した時に、出会った、謎の異人というのが、問題である。
その異人の良し悪しを判断できなかったのである。

幽冥界についても研究し、神界と現界の関連、霊魂、神仙に存在に関しても、多くを書いた。だが、確実に妄想である。
あるいは、一部の霊界からの、一つの情報である。

ここで、一つだけ、真っ当なことは、大和言葉によって、古事記を解釈するという、宣長の研究である。

更に、復古神道とは・・・
言葉がおかしい。過ちである。

古神道の復活という意味か・・・
それでは、道教、儒教、仏教の手垢にまみれている。




posted by 天山 at 23:59| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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