2012年10月31日

平成24年ネグロス島へ

この活動は、極めて個人的なものだった。
サイパンから始まった、戦没者追悼慰霊である。

様々な、戦地に赴いた。
そして、丸六年が終わろうとしていた。

そのことに、思い至ったのは、日本兵の幽霊が出るという、話からだった。
思えば、25年も前のことである。

戦争が終わって、50年を経ても、幽霊が出るなんて・・・
そして、幽霊になる兵士たちの心の哀れである。

いつか・・・
そうして、その、いつかが、やってきた。

ただ、慰霊をしたかっただけである。
それが、出掛けているうちに、衣服支援を行い、更に、食糧支援にも及んだ。

誰に頼まれた訳ではない。
ただ、心の命ずるままに行為した。

傲慢
偽善
いい気な者

様々な言葉が、浮かんだ。
そして、一番、嫌だったことは・・・
それを公にすることだった。
だが、公にすることになった。
何故か・・・

多くの人に知って貰いたい。何を・・・
先の大戦にて、亡くなられた方々のことである。

私の、爺さんの時代である。
そして、父の時代のことである。

私の父は、最期の志願兵だった。
15歳と聞いていた。

父は死ぬまで、天皇陛下を、口汚く呪っていた。
あの者のために・・・
当然である。
父の年上の男たちは、全員、戻らなかったのである。
死んだ。

天皇陛下のために・・・
死ね・・・

そんな時代に、生きていない私が、戦没者の慰霊を思い立ったのは、ただ、未だに幽霊になって、出るという、一言だった。

追悼・・・
つまり、追って悼む。
だから、調べた。
歴史、戦記を、読みまくった。

自虐史観というものに慣れていた私である。
驚き、戸惑い・・・

激戦地に、何度も、佇んだ。

ここで、死んだのか・・・
こんなところで、死んだのか・・・
戦死ではなく、餓死、病死、狂い、死んだ・・・

日本は、何と言う馬鹿なことをしたのか・・・
そして、天皇というものは・・・何と、馬鹿げた存在なのか・・・

しかし・・・
しかし・・・
事実を知ることになる。

恐るべき事実である。

戦争を求めたのは、日本ではない。
更に、天皇は、最後まで戦争回避を願い、そのために、様々な尽力を尽した。
だが・・・

白人支配の世界史の中で、はじめて、有色人種として、日本は、有色人種の代表として、戦争を受け入れた。
どうしても、白人と戦争をしなければならないと。

日露戦争は、白人との戦いではない。
あれは、結局、白人と白人の戦いだった。
ただ、日本は利用されただけである。

だが、その日露戦争の勝利が、有色人種に、希望を与えたということである。

戦争に、引き込まれた日本の、悲劇を、320万人の犠牲者が負った。

私は、源氏物語風に言えば、人の数にもはいらない者である。
更に、実は、私は静かに生きて、静かに死ぬことが、願いだった。

願わくば 南の島の 浜辺にて 一人静かに 息を引き取る

そのように、考えていた。
だが、違った。

生きたままに、荒ぶる者、祟り神のように生きることを、定められていたのである。

つまり、私は、祟り神にならなければならない。
殺されるまで、我が言葉を言い続ける。

殺されなければ、私は、いい続けるのである。
死ぬことを、恐れない。

いつでも、死ぬ覚悟でいる。



posted by 天山 at 04:31| 平成25年ネグロス島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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