2012年09月09日

霊学80

自我には、主体性と統合性がある。
そして、その自我と関わる重要なものが、コンプレックス、つまり、表象の複合体である。

自我が、コンプレックスに対して行うことが、重要であるということだ。

自我は、コンプレックスとの関わりにおいて、耐えず、変化し、成長している。
だが、自我が、他のコンプレックスの存在を認めようとしない場合、自我は、様々な防衛機制を用いることによって、安泰を図ろうとするが、それが、極端で柔軟性がなくなると、神経症という状態に陥ることもある。

また、自我が、他のコンプレックスを認めない度合いが、甚だしくなると、交代人格と呼ばれる状態になることがある。

例えば、賢いバカなどは、賢いと思うので、自分のコンプレックスを認めない、認めたくないという、防衛機制を働かせる。
すると、相手を攻撃することで、それを保とうとする。
また、徹底的な批判をする。

教師や、学者などにも多いが、人から、指摘を受けることが、癇に障るのである。

自分は、いつも、人の上にあると、思い込む人なども、である。

何かに、イライラして、原因が解らない時は、暗に、劣等感を抱かせるようなものに、触れる時である。

つまり、劣等感コンプレックスに、脅かされるのである。

さて、ユングは、自我よりも、もっと大きなものとして、自己というものを、仮定した。

それは、日常的なものや、精神分析における意味とは、違う。
個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと高める過程を、ユングは、個性化の過程、自己実現の過程と呼んだ。

それを、人生の究極の目的として、考えたのである。

このような過程を生じさせる、意識を超えた働きの中心として、自己という、仮定をおいた。

であるから、何かの症状が出た時に、否定されるべきものではなく、そこに、目的論的な意味があると、考えたのである。

そして、一生を自己実現の過程として捉え、すべてのことが、過程、プロセスであるという、考えに至る。

それは、臨床的に非常に救いになった。

つまり、その人の事柄にとって、何一つ、無駄なものはない、ということである。
そこに、積極的に人生に関わるという、意欲が見出される。

さて、自我の確立がなければ、どんな自己の体験も不可能である。
自我は、自己を必要する。そして、自己も自我を必要とする。
この二つのバランスが崩れる時、病的な状態に陥るのである。

それは、自己が自我を圧倒する場合である。
これは、分裂的になる。あるいは、精神分裂病である。
無意識の特性である、時間と空間の相対性や、部分と、全体が等しくなったりする。

そして、もう一つは、自我が膨張して、自己と同一視することである。
自分の力に、幻想的な万能力を抱き、妄想を繰り返す。
人生を転々として、人との、深い関わりを避けてしまうような状態を作るのである。

永遠の少年といわれる、現実感覚欠如の人間になる。

無意識の世界に、選別をつけた、フロイト、ユングなどのお蔭で、ある程度の、考える道がついた。
そして、この無意識は、霊学に関しても、大きな影響と、道筋を与えてくれる。

これが、超心理学、心霊主義に続く道でもある。
そして、神智学、神秘学。

霊能的能力というものも、この辺りで、裁くことが出来るものも多数ある。

霊能力で、人の無意識の世界を見るという者もいるが、その怖さを知らないゆえに言う。

自分の無意識でさえも、計り知れない世界であり、下手をすれば、溺れる。つまり、死ぬ。

無意識は、大海のような世界、あるいは、宇宙のような存在である。
簡単に、人の無意識の世界など、見ることなど、出来るはずもない。

また、それを見たとしても、収拾がつかなくなる恐れあり、同じように、狂うか、死ぬ。

ユング自身も、狂う寸前まで行っている。

辛うじて、集合意識、民族の集合意識程度の概念を作り、狂いを免れた。

ただし、仏教では、唯識が、すでに潜在意識を発見している。
更に、そこには、アラヤシキ、マナヤシキと言う、意識のレベルまで、取り入れている。

単なる、潜在意識というものも、層があるというのだ。
潜在意識も、無意識の世界にある。
その、無意識にも、幾層もある。

潜在意識を生かす方法などと、言われるが、その程度で十分であり、それ以上になると危険である。その、危険を知らない人が、危険を冒す。

無意識の霊域に入ると、出られなくなる恐れ多々あり。
自然万物の意識とつながる。
そうすると、生身の人間は、狂うしかなくなる。

瞑想などで、ある程度の域に達して、満足しているのが、幸せである。
宇宙大の意識とか・・・
神の意識とか・・・
それらは、妄想である。

もしそうならば、生まれてない。
生まれてきたということは、そうではないから、生まれたのである。
生まれた意味を、じっくりと、詮索すると、それが解る。
大半のことが、推測に過ぎない事が解る。



posted by 天山 at 05:22| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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