2012年09月03日

神仏は妄想である。385

さて、道教の傑作は、陰陽道であろうと、思う。
そして、陰陽師である。

小説家の書いたもので、世に知られるようになった、陰陽師。
とても、怪しい。
その大元が、道教からのものであること・・・

平安時代、天皇、皇族、摂政関白という身分の高い人たちが、公的な行事に常の住まいから出掛けようとする際に、陰陽師が、呪文を唱え、一種の足踏みを行い、行く道の邪悪障害を取り払うという、作法を行う。

反閉、へいばん、と言う。

その後は、貴族だけではなく、武士も行ったというから、広く認識されたのである。

反閉は、陰陽道の呪法として、特に重んじられた。

建長六年、1251年、土御門時親の奉仕したものが、後年、手本となる模範的なものだとされた。

この呪法は、邪気を反覆閉塞して、生気を迎えて、幸を開くという意味である。
別名は、ウ歩とも、呼ばれる。

勿論、道教の方術の一つである。

その一つの例を上げると、右足を前に進め、ついで左足を前に進め、また右足を前に進める。そして、その右足に左足を揃える。
それが、第一歩である。
次に、右足を前に進め、左足を前に進めて、その左足に右足を揃える。
第二歩である。
次ぎは、左足から前に進め、続いて、右足を前に進めて、右足に揃える。
第三歩である。
以上で、終わる。

このような、特殊な歩き方をして、邪気を払うことができるというのが、道教の呪法の教えであり、特に、山にはいるときには、必ず心得ておかなければならないとされた。
現代でも、山は危険である、当時は、更に危険であった。
だが、山に入るというのは、神仙道を修めるためであり、その呪法を高めるためだった。

山の中にある、邪気、邪鬼から自分の姿を隠し、あらゆる悪霊の障害を避けて、目的を達成できると、考えた。

それが、反閉の法である。
そして、それが、更にすべての邪気にも、利くということになる。

平安期に大成された、陰陽道の代表的な方術の一つである。
それが、武士に広がり、一般庶民にも広がる。

近世以降、有識者たちは、迷信として蔑視する態度を取ったが、実質的には、そうではない。それは、日本化されて、多くの習俗の基礎をなしたのである。

この陰陽道は、中国で発生した、陰陽思想、陰陽五行説を母胎にしたものである。だが、それは、道教や、儒教を構成する要素になっていたのであり、それ自身としては、独自の道を展開してゆくことはなかった。

思想としての、陰陽道は、存続したが、具体的な形として、陰陽道という、展開はなかったのである。

これらの方術は、六世紀のはじめに、日本に伝わり、陰陽寮が設けられて、陰陽師以下の、専門職が存在した。
だが、呪禁も、陰陽も、共に、その方術は同一の基盤から発生したが、日本にては、呪禁は、人間の体に関する理法を究めて、それを処置するものであり、陰陽の方は、自然の理法、体を巡る外界についての、最高の法とされ、それらに対処する、道と見なされた。

呪禁は、医、針と同じように、疾病の治療法とされて、典薬寮に、陰陽の方は、別物として、陰陽寮に配置されたのである。

更に、それが、陰陽寮の方術と曖昧になり、奈良末期には、ついに典薬寮の呪禁が弾圧されたのである。

その職は、官制からも、姿を消す。
そして、方術の使い方は、素人には無理で、専業者を必要とする。呪禁者を認められなくなった以上、その方術は、必然的に、陰陽寮の陰陽師以下の者たちに、流れていかざるを得ない。

呪禁師の携わる、方術を生かすのは、陰陽寮の学問と、方術以外にないのである。

そして、平安期に入ると、陰陽寮の方術には、天文暦数よりも、呪術的、それも反閉の象徴とされる、マジックが急激に増えたのである。

しかし、大陸には無かったものである。
つまり、奈良時代の、典薬寮の呪禁を、生成発展させたものになったと、考えるしかない。

日本独自の、発展を遂げたのが、陰陽道であるといえる。
とすると、様々なタブーなどは、その頃からのものであるといえるのである。

恐るべき、道教である。
当時の、知識階級が、貪欲に取り入れた漢籍から、何もかにも、取り入れて、日本独自のものを作り上げるというエネルギーは、凄まじいが、あまりにも、無批判に取り入れたのである。

そして、それを、左道、サドウ、と呼ぶようになる。
それは、誤りの道である。
特に、呪法は、危険極まりないものとした、意識が生まれてくる。

それによる、悲劇も、多々存在した。

しかし、果たして、その呪法なるものの、真偽の程は、どうなのか・・・
それが、後に、山岳信仰などに取り入れられて、実に、奇妙なものになってゆくのである。
更に、密教とも、結びついて・・・

人間の、果てしない妄想の世界が、進化するのか、生成発展するのか・・・

日本の礼儀とか、常識というものの中にも、その時代の道教の息吹が残るのである。

更には、神道という、日本古来の信仰形態の中にも、揺るがない地位を築いてゆくのである。何せ、道教の理論に取り込まれた神道理論も生まれたのである。
勿論、それを説いた本人たちは、知らない。



posted by 天山 at 00:31| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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