これ以上、馬鹿になりたくない一心である。
しかし、どういう訳か、お勉強をすればするほどに、解らない、解らなくなるのである。
そして、結論。
私は、何も、解らない。
解っていない。
絶望である。
何一つ、確たるものを、見出せない。
唯一、解ることは、死ぬことだけ、である。
私の机の周辺は、本が散乱している。
すべて、開いたまま。
幾冊も、積み上げられている。
メモを取る暇がないから、当然。
だが、そこに誰かが、手を入れると、アウト。
自分だけが、知っている、私の頭の中なのである。
学者、評論家・・・
色々な本を出している。
多くは、妄想一辺倒が多い。
自己完結から、抜け出せないのである。
と、人のことは、よく言う。
では、自己完結しないとなると、無限にテーマが広がり、収拾がつかなくなる。
そして、皆々、未完なのである。
完成した、論述というものは無い。
あれば、宗教のみ。
信じ込めばいいからだ。
そして、思考停止にする。
これほど、楽なことはない。
しかし、それが難しいという信者もいる。
思考停止にしないからである。
優秀な教祖は、信者を思考停止にして、洗脳する。
そして、教義なるものを、馬鹿の一つ覚えで、繰り返す。
人間は、繰り返しに弱い。
繰り返しは、癖になる。
癖にしてしまえば、こっちのもの。
同じ傾向の本を読み続けると、そのようになる。
自虐史観を読み続けた人は、自虐史観を、本当だと思う。
そして、解ったと、思い込む。
兎に角、10歳の頃から、本を読み始めた私は、未だに、何一つ、確たるものを知らないのである。
そして、これからも、きっと、解らないのである。
10年後も、死ぬことだけは、解っているだろう。
それ以外のことは、何一つ、解らないのである。
10年後と、書いたが、明日、死ぬ可能性大である。
人生とは、何と、アホらしいものか。
死ぬまでの、暇つぶし。
悪い冗談である。
これが、進化か・・・