2012年07月04日

国を愛して何が悪い20

列強時代、朝鮮が清国の属国であったことは各国ともに承知していたことで、朝鮮外交をめぐる交渉は李朝朝鮮ではなく清国を通して行われていた。朝鮮の国事や人事までも、清国政府が決めていたからだ。
黄 文雄

1885年、イギリスが朝鮮半島南端の巨文島を占領したときも、李朝には通告せず、イギリス駐在清国大使に連絡がいったのである。

更に、李朝政府には、連絡することなく、占領を了承したのである。

翌年、李朝国王の高宗が、有事の際にロシアに保護を求めようとして、ウエーバーに送った新書が、清国に発覚した。
その時、宗主国の代表として、朝鮮に駐在していた、袁世凱は、高宗を問い詰め、遂に、国王退位の厳しい措置を建言したという。

当時、日本は、国益を考えて、朝鮮を「自主の国」と主張していたが、清国の圧倒的存在感に押され、清国を宗主国と認めざるを得なかったのである。

1885年、井上馨外務卿が、清国に提出した、「朝鮮弁法八か条」でも、しかたなく、清国と妥協して、朝鮮の政務を清国と日本で、共同管理すると、第一条で提案している。

日本は、朝鮮が、自主独立の近代国家として、変わることを期待していたのである。

しかし、1875年、日本軍の戦艦が、演習中に、朝鮮軍に砲撃された、江華島事件の結果、朝鮮開国が行われると、日米英露などの列強が、朝鮮を中国の属国と認めなくなったのである。

そして、朝鮮と単独に、密約、条約などを結び、外交関係を持つ国が出てきたため、清国は、朝鮮管理を更に、強化した。

それは、朝鮮の第三国への公使派遣は、認めるが、全権の二文字は、使用禁止にした。

更に、レイヤク三論なるものの、順守を強要した。
一、 朝鮮公使は駐在国に赴任したら、必ず清国公使館に先報し、清国公使を経て相手国と折衝すること。
二、 公私外交の席上、韓国公使は必ず清国公私の次席に座すること。
三、 重要交渉がある時には事前報告し、相手国に関係なく属邦体制を守ること。

何とも、悲しい限りである。

だが、裏では、約束を黙殺し、日米英露の力を利用しつつ、清国を牽制していたのである。

19世紀に入り、李朝は、清国から保護を強化されたり、高宗をロシア公使館に移して、クーデターで親露派政権を立てたり、日露戦争後は、日本に保護されたりと、巧みに相手を変えていた。

これだけ、保護国を乗り換えてきたのである。
今頃、日帝時代の、云々を言うのは、実におかしいのである。

ゆらゆら揺れて、自主独立を保てないという、朝鮮の、その民族の心意気など、無いといえる。

そして、更に、面白いのは、清国の朝鮮省という、中華帝国の編入を喜ぶという、アホ振りである。

今なら、どうだろうか・・・
韓国人が、中国になるのを、喜ぶ人たちがいるだろうか。

しかし、先祖たちは、そうだったのである。

いくら、捏造しても、事実は、残っている。
韓国人の先祖は、中国になることを、事の他、喜んだ・・・

さて、清国では、アヘン戦争が起こり、その後に、太平天国の乱が起こる。
更に、もう一つ、イスラム教徒の乱、回乱が起こる。

1851年から、64年に渡る、反清農民革命である、太平天国の乱は、人類史上最大の、叛乱といわれる。
その死者は、五千万人、あるいは、人口の五分の一といわれる。

そして、1862年から77年の、回乱は、死者二千万人と、推定される。

この、内乱の中で、ベトナムは、清仏戦争により、完全に、フランスの手に落ちた。

朝鮮半島では、日本、ロシアが介入して、それに危機感を抱いた清国は、朝鮮の管理監督権を握る、李鴻章を中心に、今後の処分について、議論が絶えなかったのである。

回乱が起こった後で、清国は、大幅な行政改革を行った。
回部、つまり、新疆ウイグルを、福建省の台湾を、1887年に、正式に組み入れたのである。

そして、朝鮮である。
それを組み入れるために、介入している、日本とロシアの勢力と対抗するために、指導と管理を強化した。

朝鮮省を設立し、列強諸国に対して、朝鮮は、清国の固有領土であると、アピールしたのである。

地政学的に言えば、朝鮮は、日本にとって、ロシア南下の脅威を阻止する場所であり、清国にとっては、外敵を防ぐ自然の防壁となる。

ゆえに、清国は、朝鮮農民の反乱の鎮圧にかこつけて、軍隊を派遣し、そのまま、朝鮮半島の守りを固めようとしたのである。

日本、ロシア、清国などによる、朝鮮獲得競争が静かに、進行していた。

そして、日本と清国では、朝鮮の指導と管理について、多くの経営策が議論されていた。

それを、おおよそまとめたものがある。
一、 漢の四郡建置の例に従い、朝鮮国王を廃止、その地を清国の一省とする。
二、 朝鮮国王を存置するとしても、周の例に従い、監国を置く。
三、 有力なる軍隊を派遣して、その海港を清国の下に置く。
四、 朝鮮の内政革新を断行する。

その他にも、日本に取られた、琉球を取り戻そうという個所もある。
朝鮮前後六策、といわれる。

それにしても、朝鮮の問題なのに、一切、朝鮮側の発言が無いのである。というより、発言さえも、無視され、相手にされなかったというのが、事実である。

うすのろ・・・というしかない。
要するに、中国により、朝鮮は支配されていたのが、事実なのであり、あのままでいれば、確実に、現在は、中国領になっていたということである。

日清戦争により、日本が勝ったことにより、現在の韓国という国が、存在するのである。




posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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