2012年06月16日

伝統について54

恋ひ死なむ 後は何せむ わが命 生ける日にこそ 見まく欲りすれ

こひしなむ のちはなにせむ わがいのち いけるひにこそ みまくほりすれ

恋に死んだ後なら、何になるのか。この命のあるうちこそ、逢いたいと思う。

何とも、若々しい、思いである。
死ぬのも、恋に死ぬのである。そして、死んだら、何にもならないから、生きているうちは、逢いたい・・・
つまり、死ぬまで、一緒にいたい。

告白の際に、使える歌。
いい歌だ。

敷袴の 枕動きて 寝ねらえず 物思ふ今夕 早も明けぬかも

しきたへの まくらうごきて いねらえず ものおふこよい はやもあけぬかも

しきたえの、枕が動いて、眠られず、物思いに耽る今宵は、早く明けて欲しい。

しきたえ、とは、美しい布の美称である。
枕が動くとは、恋の前兆を示す。

あの人を思い、枕が動くのである。
辛くて、早く夜明けを待つ心境。

だが、そう思えば、思うほど、朝が遅いのである。
片恋なのか・・・

恋に、惑う心。

行かぬ吾を 来むとか夜も 門閉さず あはれ吾妹子 待ちつつあるらむ

ゆかぬわを こむとかよるも かどささず あはれわぎもこ まちつつあるらし

行かぬ私を思い、門を閉めず、あの妹子は、待ち続けているだろうか。

行けぬ理由は、書かない。
ただ、行けぬのである。
だがら、きっと、あの子は、待ち続けているだろうと、心痛する。

ここで、あはれ、という言葉が、使われている。
感動詞といわれる。
最初に、あはれ、とは、感動、心の動きを表したものだと、知る。

それが、ものあはれ、そして、もののあはれ、と、感動のみならず、日本人の心象風景を広げてゆくのである。

言うに言えぬ、思いを、あはれ、と言う。
すべてを、語り尽くすことは、できないのである。
そして、語ることはないのである。
所作に、それは、現れる。

夢にだに 何かも見えぬ 見ゆれども われかも迷ふ 恋の繁きに

いめにだに なにかもみえぬ みゆれども われかもまどふ こひのしげきに

せめて、夢にだけでも、見たい。だが、見えない。いや、見えているのに、心に迷いがあるから、解らないのだ。あまりの恋心の激しさに。

恋の心の激しさに、見えているのに、見えないと、考えたのである。
見えても、見えないという、迷い。
何やら、小難しい哲学のようだが・・・

恋に迷いし、我が心とでも、言うのか。

こうして、万葉の人々は、恋を歌い続けた。
生きることは、恋すること。
恋することは、生きることだった、時代。

実に、素直な時代だった。
それが、突然、出来たのではない。そのために、費やした時間は、何千年の歳月である。



posted by 天山 at 00:00| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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