2012年06月12日

霊学62

還元主義者の代弁者は何というであろうか。まず初めに、彼は、大脳の大まかな名称として「心」ということばを使うのはまだ許されるが、それとは別の実体を表示するにもはやこの語を用いてはならないと説く。こうして、直接経験についてのすべての問題が全く無視されてしまう。
コーエン

心的なものは、物理的なものから、間接的に、推論されるだけに過ぎないと、考えるのである。

コーエンの烈しい批判が続く。
実に、面白い。

心理学・・・
そこに至るまでの、道のり・・・

心理学とは、何か。
傾向と対策である。
とすると、占いと、変わらない。
複雑にすれば、複雑に、簡単にすれば、簡単になるのである。

ところが、馬鹿な、心理療法家などが、何やら、解ったような、言葉の羅列で、患者を混乱させる。

その言葉の、概念を知らない者は、はぁーと、聞くしかない。
それでも、症状が緩和した。
癒えた。
ウソである。

誤魔化したのである。

「還元主義」の司祭長ルドルフ・カーナブである。彼の最近の著作から受ける第一印象では、彼は心理学的現象の解釈について、初期の固執な立場を和らげているようにみえる。いまや彼は、ほかの人々が疑ってみることが必要だと思いもしなかったこと、つまり、行動主義が内観を全く拒否するのは、全然必要のないことであり、また、想像や感情など、自己の状態についての人の意識は、原理的には外部からの観察と違わない一種の観察であることを認めなければならないということを、容認するのである。
それゆえに内観は、その主観的性格によって限定されはするけれども、正当な知識源である。
カーナブルがまた今日認めているのは、行動主義理論の偏狭さは、一つは、彼とその一門がかつて真理の旗印として掲げた完璧の経験主義の影響によるということである。
しかしカーナブルたちは、もはやこの旗印が自分たちと同一視されることを願っていない。しかしながら、たちまち明らかになることは、これらの譲歩が実質を伴っていないことである。・・・
カーナブルはなお従来と同じく熱心に、微視的生理学「すなわち、細胞、分子、原子、そして場による解釈」によって、心理学を究極的に微視的物理学にまで還元することを信じている。これは、古い時代おくれの物理主義を磨き直して、新しく見せかけたものである。
コーエン

要するに、人間の外的な行動の研究により、得られた知識は、内部経験から得られる知識に、取って代われることは、できないということだ。

実に、烈しい攻撃的、否定的、発言である。

それが、一見そのように、見えないのは、文体のせいであろう。

こうして、心理学者の戦いは、同じ心理学者に向けられる。
そうして、延々と続けて行くと、患者などの、治療・・・そんな暇は無い。

だから、どこかで、エィと、切り捨てて、試験に合格して、何やら、世の中に、はばかるのである。

心理学の、実験、調査などがあるが、信用するに足りない。
その日の、気分で、人は変化、変容する。
ただし、過去の事柄については、正しい。

性意識調査を行った、アメリカの、あの人のような・・・

心理学者の、課題は、物理学者が捨て去ったものから、取り掛かることだと、コーエンが言う。

もしも心理学者に、神経生理学の言語に翻訳できるように記述を行うことしか許されないのであれば、心理学者は何も言うことができなくなるであろう。
コーエン

心理学における、歴史的考察を批判して、心理学を学ぼうとする人たちに、コーエンは、警告を発しているのである。

だから、過去の、心理学もどきにある、学問的分野からの、発言を徹底的に、攻撃している。

何度も言うが、これは、心理学を学ぶ人のために、という、序文である。

そして、心理学の定義づけを、行う。

心身の全体性という概念は、病気を特殊な単位としてうち建てる、もろもろの仮定を一掃する。独立した実体としての病は消えて行く傾向を持ち、病というものが症状に対して、ある自然な種としての役割をになわせることもなくなり、また生体に対して、ある異物としての役割をになわせることもなくなった。反対に、今や個人の総体的反応ということに特別な地位が与えられている。病的過程と、生体の一般的機能との間において、病はもはや自律的な実体として介入しない。病とは、病める個人の生成過程において、ある抽象的な断面を切りとったものとしてのみ、考えられるにすぎなくなった。
精神疾患と心理学 ミッシェル・フーコー

上記は、哲学入門という、シリーズの一冊として刊行された、フーコーの処女作である。

心理学には、哲学が、欠かせないという見本である。
哲学の素養の無い者が、心理学を学んでも、泳げないのである。

精神科医の文が、味わい深いのは、哲学が種にあるからである。
そして、心理学者の、味わい深いものも・・・

ただし、それには、中々、お目にかかれないのである。
何故か。
哲学が無いからである。

深い哲学的洞察と、心理学の深い洞察・・・
人の心は、哲学に結びつくのである。

だが、人生は、短い。
学んでいるうちに、死ぬ。

だから、どこかで、線引きをして、心理学者が、生まれる。

霊学に、至るまで、延々とこれを、続ける。

哲学は、霊学に向かって進むのである。
いや、これは、心理学か・・・




posted by 天山 at 00:02| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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