2012年05月10日

沈黙を破る62

戦争犠牲者の追悼慰霊から、はじめた、活動。
そして、衣服支援を始めて、テラの会とした。

今年で、六年目に入る。
よくぞ、やってきたと思う。

慰霊地に出掛けて、その土地に住む人たちの、貧しさに絶句し、驚愕した。
そして、子ども達の衣服でもと、始めた。
それが、大人、更に、文具や、ぬいぐみ・・・・

それから、大変な状況になった。
衣類の支援を求めると、保管場所が必要になり、三つの保管場所を得た。
それだけではない。
手渡しが基本だから、持参する。

それが、続いて、私は、足腰をやられた。
使いすぎと、医者に言われた。

足が、重要である。
不自由になると、活動に支障が出る。

更に、現地で出会った人に、支援物資を送るようになる。
勿論、それも、私が出掛けて行って、差し上げるのである。

そして、更に、大変なことは、経済的なことである。
お金がかかる。

更に、大変なことは、お金が無い。

仕事をすれば、いい。簡単なことである。
しかし、仕事をすると、活動が半分以下、それ以上に減らさなければならない。
と、すると、死ぬまでに、出来ない。

それでは、支援物資を送られ方々に、寄付を求める。
ところが、支援物資を送るが、寄付となると、断然、支援する人が少なくなる。

中には、支援物資の中に、数千円などを入れてくれる人がいた。
その人は、ボランティア活動には、お金がかかると、知る人である。

それなのに、私は、ミャンマーの孤児院、更に、ミャンマー難民の、タイ側にいる、孤児たちに、食糧支援を思いついた。

行くたびに、何を食べているのか・・・
国連から、米を貰うだけ。
だが、米だけで、後は、どうするのか・・・

その米も、満足ではない。

人生の後半を、晩年を、ゆっくりと、静かに・・・
なんて気持ちは、更々無くなった。

何とかしなければ・・・

しかし、一人で踏ん張ってみても、たかが知れている。
矢張り、多くの人からの支援を必要とする。

私には、何の支援団体も無い。
孤立無援である。

これでは、続けられない。

不労所得・・・という、歌い文句で、様々な金儲けがある。
しかし、金を得るというのは、大変なことである。
もし、簡単に、スムーズに、不労所得を得たという人がいたなら、それは、魔物である。

そこに至るまで、七転八倒の苦労がある。

更に、不労所得を得て、人を見下すような生活をしたいようである。

年収、一億、二億、三億・・・
平然として、言ってのける。
多数の人が群がるのが、見える。

だが、全員が、そうならないのは、見ての通り。

一人の人の、成功が、皆の成功のように、語る。
あまりにも、稚拙である。

そして、その方法は、無料で、手に入る。
年収一億の方法が、無料である。
少しばかり、賢い人たちが、思いつく言葉である。

さて、私は、これから金を得て、活動を続けなければならない。
勿論、誰に頼まれたわけではない。

私の、勝手な希望であり、活動である。
私の、自己責任に帰す。

心ある人、興味を持つ人たちに、私の活動が知れること。
それ以外に、方法はない。

何で、そんなこと、やってるの・・・
何の得にも、ならないでしょう。
得にならないことを、する人もいるのだ。

得に、執着しない。

何故なら、この世に欲しい物が無い。
この世に、未練も無い。

死ぬことが、救いだと、考えている。

ただ、これを続けると、日本のためには、得になる。
私は、日本人として、行動しているからだ。
その見返りがあるとしたら、日本である。

傲慢を言うと、
千年の日本のために・・・



posted by 天山 at 05:34| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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