2012年05月09日

国を愛して何が悪い10

戦後になり、韓国では、突然、漢字の非効率性、非大衆性が叫ばれて、ハングル国語純化運動が進められた。

1948年、李承晩大統領が、ハングル専用に関する法律を、制定し、漢字を暫時的に廃止する路線をとる。
59年には、臨時漢字制限法令を発布し、日本の漢字規制のように、漢字を1300字に制限する。

更に、65年から、一切の公文の漢字使用を禁止したのである。

67年には、朴大統領が、漢字廃止五カ年計画、を指示。
70年以降、総理大臣訓令で、漢字使用を全面的に禁止した。

このように、一時的にではあるが、すべての教科書から、突然、漢字が消えたのである。

ここで、解るように、韓国では、伝統を断絶させるということが、当たり前なのである。日本は、漢字文化を取り入れ、更に進化させて、本場、中国よりも、充実した漢字文化を、継承した。

また、そこから、カナが生まれ、平仮名が生まれ、実に見事な、日本語を作ったのである。

それ以前に、日本にも、古代語があったということを、付け加えておく。

韓国では、それまで、公文書には、漢文が90パーセントを占め、大韓民国の憲法でも、90パーセントの漢語が含まれていた。
当然、韓国社会に与えた影響は、大きい。

同音異義語の氾濫、更に、抽象度の高い概念語の、理解力と利用率が低下した。
その一方、韓国の伝統的固有語を漢語で代用することを、積極的に行ったが、ハングル単用の推進者たちは、新しい代用語を創造することができず、失敗に終わる。

それでも、作った新韓国語も、創った本人が使用したたけで、自然消滅した。

結果は、様々な問題が噴出し、金大中政権時代には、再び、漢字復活論が出でくる。

ただし、国民の10パーセントの賛成であり、言葉に対する意識の低さを、露呈したのである。

黄氏は、
韓国人が伝統の漢字を棄てたことは、李朝時代の「揚儒斥仏」と同じく、誰からみても伝統文化の破壊、絶滅である。伝統文化というのは「自生的」なものだけを指すのでは決してない。伝来したものでも、たとえば仏教などのように永い年月にわたってその地に土着したものも含まれるのである。そのため、漢字も仏教も儒教も、韓国にとって立派な伝統文化である。
と、言う。

更に、ハングルは、韓国の伝統ではないのである。

あまりにも、短絡的、単細細胞的な、対応であるから、驚く。
自国の文化という、意識が希薄であり、更に、伝統などという、観念も、曖昧なのである。

ただ、兎に角、韓国は、素晴らしい・・・
そして、誇大妄想に浸り、世界の文明は、韓国から・・・などと、全く根拠のない幻想を語るのである。

韓国語における、漢語の含有率は、60パーセントから70パーセント、更には、80パーセントとも言われる。
それなのに、漢字全廃を行うというのは、狂っている。

そして、その結果、韓国語の、言語伝達能力が低下し、韓国人は、世界でも、読書率の低い国に、転落した。

あれほど、日帝時代に、高い水準を持っていたにもかかわらず、教育とは、有名無実になってしまったのである。

漢字漢文放棄が、どれほど韓国社会に混乱を招き、伝統文化を放棄するということで、どれほど国にとって、マイナスとなったかということ。

だが、韓国人は、それさえも、気付かないのである。

韓国は漢字を捨て、ハングルを自慢するようになった。・・・それまで蔑まれてきた、ハングルを朝鮮に普及させたのは日本だった。にもかかわらず、韓国人は「日本人に言語を奪われた」と非難している。なんと矛盾と屈折に満ちていることだろうか。


ところが、知識不足か、何も知らないのか・・・
世界でもっとも合理的、科学的かつ芸術的な、文字と自画自賛するのである。

ハングルが完璧だというのは、韓国の言語学者が無知なだけに過ぎない。


韓国語は事物を正確に表現するのに充分でない点が多い。名詞においても、単数と複数の区別がはっきりせず、人称や数の区別もない。格に該当するものもなく、助詞(格助詞)で格を表している。また、ある状況を表す用語法としての否定法もない
インタイリン 韓国人とその意識構造

黄氏が、まとめたものを見る。
韓国語は代名詞がない。関係代名詞は前出の語句を受けて、思考過程を漸次発展させる語法である。
したがって、科学的表現には向かない
論理的・科学的思考能力の発達を阻害している
事物を客観化かつ対象化して理解しようとしない
客観的事実を直視し、自己の生活を反省する力に乏しく、無批判に外来思想に追従する傾向がある
推理力に欠ける時、常に感性にのみ依存し直観的技術に頼ろうとして、合理的に把握しようとする精神が欠如している

戦前の韓国の新聞や雑誌を読んで感じるのは、その情報伝達の不正確さである。ことに、数字的な情報は信じられないほど混乱している。これは、当時の朝鮮人知識人の水準を表しているとも言える。


日帝時代の、日本語の使用は、朝鮮語使用以上に、文明開化をもたらしたのである。

当時のアジアで、日本語ほど、近代的で体系化された、言語はなかったのである。

韓国人が、ハングルを自画自賛すれば、するほど、その評価は、遠退く。
それは、韓国人が、内省できない民族だとしか、言えない。

現在の、教科書は、反日を中心として、作られている。
これが、将来の子ども達の感性を、破壊する。
訳の解らないうちに、ただ、反日だけを、教えられているのであれば、先は無い。

憎悪と、攻撃だけを、教えられているようなものである。

共感など、全くない。
韓国の子ども達は、反省も、教えられない。
ただ、兎に角、悪いのは、他であるという、思考法、外省志向のみである。

国民が真っ当に、育つはずがない。

更に、朝鮮の歴史を書き残していないから、ただ、妄想の古代史を教えるだけ。
結果、中国の属国意識のみで、歩んできた朝鮮だと気付くと、韓国人を止めたくなるだろう。

真っ当な国民意識を、創るために、100年は要する。

それは、日本にも、言える。
永い間の、自虐史観から、抜けるには、100年を要する。




posted by 天山 at 00:03| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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