2012年05月03日

もののあわれについて559

女どもも泣き惑ひて、「母君の、かひなくて、さすらへ給ひて、行方をだに知らぬかはりに、人なみなみにて見奉らむとこそ思ふに、さるものの中に交り給ひなむこと」と思ひ嘆くをも知らで、「我はいと覚え高き身」と思ひて、文など書きておこす。手などきたなげなう書きて、唐の色紙かうばしき香に入れしめつつ、をかしく書きたり、と思ひたる言葉ぞ、いとたみたりける。みづからも、この家の次郎を語らひとりて、うちつれて来たり。三十ばかりなる男の、丈高く、ものものしく肥りて、きたなげなけれど、思ひなしうとましく、荒らかなるふるまひなど、見るとゆゆしく覚ゆ。色あい心地よげに、声いたう枯れてさへづり居たり。懸想人は、夜に隠れたるをこそ、よばひとは言ひけれ、様かへたる春の夕暮れなり。秋ならねども、あやしかりけりと見ゆ。




娘たちも、なきうろたえて、母君が、残念なことに、家を出て行ったままに、行方さえ解らない。その報いに、人並みになって欲しいと思うのに、そんな者のところに、縁を作ろうとは、と嘆くことを、監は知らず、自分は、とても人望のある者なのだ、と思い、手紙など書いて寄こす。
字は、下手でもなく、舶来の色紙を香り高い香で、十分に焚き染め、気のきいたように書きたいと思うが、文字が、実は、とても訛りが多いのだ。自分自身も、この家の、次郎を味方に引き入れて、連れ立って来た。
三十くらいの男で、背が高く、どっしりと太って、見苦しくはないが、気のせいか、嫌な感じで、声は、酷くしわがれて、喋っている。懸想人とは、夜に紛れて来るからこそ、夜這いと言うのに、風変わりな、春の夕暮れです。秋ではないのに、人恋しいのでしょう。

最後は、作者の言葉。

秋ならねども
古今集
いつとても 恋しからずは あらねども 秋のゆふべは あやしかりけり




心を破らじとて、祖母おとど出で会ふ。監「故少弐のいと情けび、きらきらしくものし給ひしを、いかでかあひ語らひ申さむ、と思ひ給へしかども、さる心ざしをも見せ聞えず侍りし程に、いと悲しくて、かくれ給ひにしを、そのかはりに、いかうに仕うまつるべくなむ、心ざしをはげまして、今日はいとひたぶるに強ひて侍ひつる。このおはしますらむ女君、筋ことに承れば、いとかたじけなし。ただなにがしらが、私の君と思ひ申して、いただきになむささげ奉るべき。おとどもしぶしぶにおはしげなることは、よからぬ女どもあまたあひ知りて侍るを、聞し召し疎むななり。さりとも、すやつばらを、ひとしなみにはし侍りなむや。わが君をば、后の位におとし奉らじものをや」など、いとよげに言ひ続く。




機嫌をそこねまいと、祖母が出て会う。監は、故少弐は、とても情け深く、まぶしいほど、立派でありましたので、なんとか、お近づきを得たいと、存じておりました。その願いも、申し上げないうちに、残念にも、お亡くなりになってしまったので、その代わりに、心を尽して、姫に、お仕え申すために、気を出して、今日は、精一杯にして、やってきました。こちらに、おいで遊ばす、姫君は、貴いお血筋と賜わっておりますので、まことに勿体無いこと。ただもう、拙者の、ご主人と思い申し上げて、頭の上に、おしい抱きましょうぞ。祖母君も、しぶり気味でいる様子を、それは、いやしい女どもを、沢山世話して、いることを、聞いて、嫌っているとのこと。そうとしても、そんな者どもを、どうして、同じように、扱いましょうか。わが姫君をば、后の位にも負けさせないない積もりなのに、などと、ひどくうまい話しを喋り続ける。

よからぬ女どもあまた知りて
知る、とは、所有するという意味。




乳母「いかがは。かく宣ふを、いと幸ありと思う給ふるを、宿世つたなき人にや侍らむ。思ひ憚ること侍りて、いかでか人に御覧ぜられむと、人知れず嘆き侍るめれば、心苦しう、見給へわづらひぬる」と言ふ。監「さらにな思し憚りそ。天下に目つぶれ、足折れたまへりとも、なにがしは仕うまつりやめてむ。国の内の仏神は、おのれになむ靡き給へる」など誇り居たり。その日ばかりといふに、「この月は季の果なり」など、田舎びたる事を言ひのがる。下がりて行くきはに、歌よままほしかりければ、やや久しう思ひめぐらして、


君にもし こころたがはば 松浦なる 鏡の神を かけて誓はむ

この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひ給ふる」と、うち笑みたるも、世づかずうひうひしや。




乳母は、どういたしまして。こんなにおっしゃって下さることは、とても幸せだと、存じますが、運の悪い子なのでしょうか、人並みではない事がありまして、どうして、人に嫁いだり出来ようと、一人静かに、嘆いておりました。可愛そうで、私も、困っているのです、と言う。
監は、決して、遠慮されるな。目が潰れ、足が折れていようとも、それがし、お世話申して、治しましょう。国中の神仏が、自分について下さっています、などと、自慢している。これこれの日に、お迎えにと言うので、今月は、季節の終わりゆえ、など、田舎びた事を行ってごまかす。帰る間際に、歌を詠みたくなったので、やや長く思案して、


姫君に対して、私が心変わりしましたら、どんな罰でも、受けますと、松浦の鏡の明神にかけて、誓います。

この和歌は、うまく詠めたと存じます。と、にっこりとしているのが、女の相手をしたことがなく、初心なものだ。

世づかずうひうひしや
世、とは、男女の仲をいう。
ここでは、男女のやり取りに慣れていないというのである。
作者の言葉である。

乳母、監、作者の思い、こもごもと入り、まともな文章ではない。
だが、これから、日本の文学が始まるのである。

推理小説にように、楽しむ読み方もあるかもと、思う。
これは、誰の心境か・・・

前後の、文の間を見て、納得する場合もあり、それでない場合もある。

玉葛は、別の作者であることが、よく解る段である。



posted by 天山 at 00:07| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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