2012年04月12日

霊学56

自己愛人間とは本当の意味で自己愛の満足を知らない人たちだともいえるし、病的な自己愛の肥大した人たちともいえるわけです。
小此木

自己愛人間は、存在しないだろうと、私は言う。
小此木氏が言う、自己愛人間は、病的自己愛人間のことである。

大変、参考になった。

もう少し、説明すると、非常に苦痛なことや、恐ろしいこと、醜いことを直視するとき、その現実を否認して、それをとても、良いものとみなす、理想化して、良いものと思い込む、心の防御作用がある。

自己愛パーソナリティは、この理想化のメカニズムが、異常に肥大して、恐ろしいこと、苦痛なことを、排除することで、幻想的な自己愛を満たし続ける、パーソナリティという。

更に、理想化のメカニズムは、さらに、躁的防御のメカニズムになる。

正常な自己愛の場合は、母親が可愛がってくれるときには、喜び、可愛がってくれないときには、腹を立てるという、現実との相関関係が細かい。
しかし、病的な場合は、現実との微妙な関係ではなく、非常な一方的な思い込みでいる。

更に、思い込みの中にいると、調子がよいが、思い込みが外れると、たちまち相手との関係性を断ち切る。自閉的になる。

続けて、小此木氏が言う、健康な自己愛は、
自己愛を満たしてくれるときには、それなりに相手に対して感謝や愛情を感じる。
自分の要求が、叶えられる範囲で、要求する。
自己中心の態度には、相手も自己中心であると、認め合うところがある。
周りの人から、愛されること、誉められたいと思うことが、具体的である。
ということになる。

病的な自己愛の場合は、すべて、その逆になるというもの。

幻想的なものを、要求する。
自己中心性は、非常に冷たい。当然と思う。
抽象的で、具体的ではない。

そして、病的な自己愛の人たちは、被害的な攻撃性があらわれたり、他の人が、自己愛を持つことを、認めることが出来ない。

他の人が、自己愛的に喜ぶと、途端に、不愉快になる。
そして、それを許容すると、離人感に陥るのである。

解りやすい例は、自分がその場で、人気者にならなければ、行かない人。
そして、激しい攻撃性。
それを処理するために、猛躁的になる。

一般に「気むずかしい人」といわれている人の中にはこのような病的な自己愛人間が多いのではないでしょうか。
小此木

人から、本当に理解される、共感される、ということが、本当の意味での健康な自己愛の満たし方であるということ。

この当たり前のことを、いうために、小此木氏は、延々として、語り続けた。

そして、
ところが、現代ではそういう人間同士の温かい理解や共感によって自己愛がみたされるということが失われていく傾向があります。お互い同士が競争相手になって、誇大自己をぶつけ合っている。そしてお互いに相手を道具にして利用したりし合っているわけです。
小此木

自己愛人間になってしまうと、人間的な触れ合いを避けてしまうということになる。

自己愛人間は主観的な思い込みによる楽観主義者であるといえます。
小此木

小此木氏の、個人的研究の成果を、見てきた。
実に、狭い世界のお話しである。
ところが、これを、全体に広げて考え、更に、人を分析するという、愚かな人がいる。

端的に言えば、こういう人たちを、嫉妬の人たちということが、出来る。
世の中は、多く、嫉妬によって、感情を左右される。

または、女性、特に、若い女性たちに、このタイプの自己愛人間が多い。
勿論、年を経ても、そういう人がいるが、老いには、適わない。
そして、誰も相手にしないという状況になり、孤立する。
若い頃は、若いというだけで、誰かが相手にした、老いると、終わりである。

老いても、イリュージョンの中にいて、死ぬことも、錯覚だと、幸せである。

そろそろ、限界に近づいたので、
ですから自己愛人間の病理としては、登校拒否のように一見してわかるおちこぼれと有名なスターやエリートの人間、世間的には失敗者と成功者にみえますが、その両方ともが病的な自己愛パーソナリティであり、自己愛人間の病理としてあげられるわけです。
と、言う。

それで、結局は、イメージの中で、自己愛を満たすという、未来の人間が描かれる。

つまり、死ぬこともなければ、生きていることもない、純粋に、イメージだけの愛の対象と主観的な思い込みの中でともに暮らすようになるのではないでしょうか。
小此木

これにより、小此木氏が、病的自己愛人間の一人であることが、解る。

心理分析、精神分析が、まだまだ、未熟であり、更に、研究が進んでも、ゆくべき先は、おおよそ、予測できる。
どんな人間像を描いても、その時代のものであり、普遍的なものではないこと。

対処療法の域を出ないのである。

更に、世間を混乱させる、言動である。
学問の世界にいるというだけで、世間に発言力がある、心理学者、精神科医である。

最も、それは、本人に必要なものだった。
彼らこそ、それが、必要だったのである。
だから、徹底した、心理学、つまり、他の学問を取り入れ、模索する、心理学の学者がいることが、救いである。

だから、心理学を批判出来る。
批判出来るものこそ、批判に値する学問である。




posted by 天山 at 07:00| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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