2012年04月01日

国を愛して何が悪い5

1900年10月、義和団事件に乗じた、ロシア軍が、ハルピンを制し、満州各地を占領し、全域を支配下に収めた。

アヘン戦争以後、愛軍条約で、清国政府から、黒竜江以北後と、ウスリー江以東の土地を手に入れたロシアは、シベリア開発と領土防衛のために、どうしても、朝鮮半島が必要だった。

日清戦争の後の、三国干渉により、ロシアは、遼東半島、旅順、大連を手に入れると、シベリア鉄道や、東清鉄道の建設にも、着手しはじめたのである。

さて、1895年、朝鮮国内では、反日クーデターが起きて、ロシア公使ウエーバーと結んでいた一族が、政権を把握した。
これに対して、ソウル駐在の、日本公使三浦梧楼は、その一族の、政敵である、大院君を擁して、クーデターを起こし、守備隊が王宮に入り、一族を殺害した。

すると、ロシア公使館は、仁川に停泊していた、ロシア軍艦に連絡を取り、陸戦隊100名あまりを、ソウルに派遣した。
保護の名目で、朝鮮国王と世子を、公使館に、一年以上拘束し、親露政権を樹立させた。

このままでは、ロシアの支配下に入ることになる。
更に、それは、ロシアの、搾取の場所となるはずだった。

どうであろうか・・・
今の、韓国人は、それを、どのように解釈するのか。

さて、1897年、朝鮮から、大韓民国に改称した当時の、韓国の国民は、日韓併合に対して、どのようだったのか・・・

抵抗を示していないのである。
黄文雄氏は、
それは投入された、警察力からもわかる。
と言う。

日韓併合から、3,1独立運動の9年間に、4000人以上の朝鮮人警察を入れても、朝鮮総督府の憲兵警察は、7000名のみである。

しかも、併合反対の決起というものは、無く、無抵抗に受け入れている。
これは、事実である。

つまり、韓国人が、ロシアより、日本の方がいいと、判断したのである。
そして、その判断は、正しかった。
それは、日本が韓国にしたことを、挙げれば、よく解る。

日本の、朝鮮半島、満州への進出は、半島住民を、清とロシアから解放したたけではなく、清の禁令地であった、満州開拓に参加できる、チャンスも与えたのである。

半島に閉じ込められていた、朝鮮人は、日本帝国の発展と共に、満州から、シベリアへと、進出できたのである。

更に、彼らは、日本と、日本軍に守られていた。

現在の、韓国人は、それを、どう解釈するのか・・・
今、独立国としてあるのは、どうしてなのか・・・
よくよく、考えて欲しい。

1910年の、日韓併合から、36年に渡り、九人の総督によって、統治された、韓国である。
それは、台湾より、安定していたという。

韓国では、少しの抵抗があったが、少数派である。
それは、韓国人の心に、それまでの、両班、ヤンバン、つまり、朝鮮の文武両官支配に、終止符を打ちたいという、思いがあったのである。

ヤンバンの支配は、日本の統治より、陰湿なものだった。

更に、韓国は、日露戦争後は、満州における権益を、日本人と同様に、享受したのである。

日本に対する、反抗の運動が行われ始めたのは、日韓併合から、9年を経た、1919年の、3,1独立運動以降である。

だが、朝鮮は、日韓併合以前から、財政が破綻し、日本統治時代の36年間も、赤字財政であり、日本からの、莫大な資金投入を受けていた。

日本国民も、韓国に、金を注ぎ込む政府のあり方を、批判した。

日本の知識人の中には、韓国が自立できるならば、独立させた方がいいと、考える人たちもいた。
だが、日本が手を離せば、中国、ロシアが確実に、植民地にすることが、解っていたのである。

アメリカのルーズベルト大統領も、朝鮮が自立できないならば、日本と合併したほうがいいとの、意志を示していたのである。

ゆえに、1905年、高平公使にも、韓国の保護国化に承認を与えたのである。
アメリカの、タフト陸軍長官も、朝鮮の日本による、保護国化は、アジアの恒久平和に貢献するとしている。

その日本の韓国統治は、実に、韓国には、恵まれたものだった。
韓国人の、皇族、貴族は、日本の華族と同じ扱いを受け、日本の朝鮮総督統治下で朝鮮人道知事も、総数42人いて、日韓併合後、侯爵は、7人、伯爵は、4人、子爵は、20人、男爵は、36人、総数69人の貴族が、認められた。

更に、列強時代である。
軍人教育は、重要視された。

1896年、朝鮮人は、11人もの仕官が、日本陸士に入っていたのである。

以後、敗戦まで、朝鮮人は、日本人と同じように、軍事教育を受けて、中将まで出ていたのである。

当時の日本にとって、韓国人は、異母兄弟か従兄弟のようなものであった。
と、黄文雄氏は、書く。

戦前は、朝鮮を植民地として見る、見方はなかった。
特に、明治の人は、耳にしたこともないのである。

朝鮮を、合邦国家、併合国家として、植民地ではないという、考え方は、論拠のないところではない。

当時掲げられていた「内鮮一体」「一視同仁」というスローガンはまさに政策であり、それこそ本音だったという人も多い。
黄文雄

要するに、現在の、韓国人の学者、識者は、当時の状況を把握せず、現在の有り様から、解釈する。それが、間違いの元である。

何故、当時の、世界的状況を把握して、日韓併合を理解できないのかということだ。
列強が世界を制覇する環境を、鑑みてこそ、日韓両国が、生きていくには、連合国家を造る必要があったのだ、という、判断が生きてくる。

であるから、当時、百万の会員を有すると、自称する、一進会の李容九らの、憂国の志士たちが、日韓併合の推進役を買って出たことも、自然な成り行きである。

韓国は、冷静に、当時の状況を鑑みて、日韓併合の恩恵を思うべきである。
更に、歴史は、断絶してあるものではない。
連続してあるものであるという、歴史の在り方を、身につけるべきである。

でなければ、今頃は、中国か、ロシアの一部とされ、独立なども、ままならなかっということを、実感として、感じ取る、感性が必要である。

チベットのように、扱われていたかもしれないのである。
朝鮮の伝統文化などは、大中国の前には、無きものである。

歴史の捏造は、いずれ、その報いを受ける。そして、それに至れば、誰も、助けることが出来ないほど、痛められるのである。

それは、日本が証明している。
日本の自虐史観は、日本人の心を傷つけ、回復するのに、100年を要する。
気付いた時、気づいた者が、正していかなければ、国家の存亡にかかることになるのである。




posted by 天山 at 00:04| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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