2012年03月29日

国を愛して何が悪い2

知人が、祝日には、家でも、国旗を掲げたいと、家庭用の国旗セットを買った。
そして、祝日に、家の前に掲げることにした。

長女が遊びに来た。
そして、祝日が過ぎて、国旗を降ろした時に、
ああ、良かった、変な家だと、思われるは・・・
と、言った。

それを聞いた、知人は、娘の言葉にとんでもなく、違和感を覚えたという。そして、今までの、受けた教育現場を思い出したという。

大阪市が、橋下市長になり、国歌斉唱の際の、教員の起立を義務付ける条例を制定した。
すると、共産党の委員長が、
個人の思想、信条の自由を侵す云々・・・
全く、これには、意味不明である。
しかし、多く日教組の教師たちは、そのように考えている。

一体、どこの国の国民なのか・・・

ゆゆしきこと、甚だしいのである。

そして、現在は、敗戦後の見事な、国嫌悪の教育が、行き届いて、国の象徴である、国旗、国歌に対して、無礼千万な態度を取っても、許されるという・・・

そのお陰で、日本の若者の行為が、すこぶる悪い。
特に、スポーツ親善などで、海外に出る生徒たち。

その出掛けた国の、国歌斉唱、国旗掲揚の際に、起立せず、注意される。
更に、自国のそれも、平然として、座っている。

そこに、またまた居合わせた、日本在住の外国人作家が、怒鳴った。
これは、君達の、国の国旗と国歌であろう・・・
何故、起立しない。

彼らが悪いのではない。
教えられていないのである。
そして、これが、いつまで続くのだろうか。

これが、個人の思想、信条の自由なのか・・・
全く、意味が違う。
礼儀作法である。

国内で、それでも、まだ許されるが、一度、海外に出れば、許されないこともある。

挨拶と同じように、教育されなければ、ならないことである。

共産党の委員長が、そのような蒙昧なことを言い、更に、教師たちが、蒙昧な行為をする。話にならないのである。

それも、公立学校である。
私立では、それぞれの、思想信条を持って、教育に当ると、親も子供も、納得して入学し、キリスト教の宗教教育や、礼拝を行う。
それを、個人の思想、信条の自由から、拒否するか・・・
それを、納得して、入学したのである。

公立は、私立ではない。
国の学校である。
当然、日本の国の礼儀作法を教えるべき場所である。

そして、それは、また、自分に続く先祖たちへの、思いであるということだ。
同じように、先祖たちが、大切にした、国旗や国歌を受け継ぐ者としての、意識のありようである。

様々な、宗教も、大きな儀式に於いて、国旗掲揚を掲げるべきなのである。
それは、その自由が、国によって、保障されているという、感謝の意味と、日本国の発展を祈るはずなのである。

更には、元首である、天皇の御旗を掲げるべきだが、今上天皇は、それを、強制しないという、僥倖である。

日本ほど、世界で、国旗掲揚と、国歌斉唱に気を使わない民族もいない。
多分に単一民族のゆえであろう。

だが、世界が狭くなった現在、子ども達には、しっかりと、それの礼儀作法を教えるべきである。
それが、個人の思想、信条の自由を侵すものではない。
挨拶が、個人の自由を侵すものだろうか。

中国や、北朝鮮のように、日本の国歌が流れる際に、ブーイングなどをする国と、同じように、無礼な国になってはいけないのである。

あちらは、第三国であるから、致し方無い。
しかし、日本は、先進国であり、世界的な国家として、注目を集めている。

大震災の際の、日本人の行為行動が、世界に賞賛された。
それは、日本人の礼儀正しさに、である。
皆々、人を優先し、パニックに陥らない行動をとった。
掠奪なども無く、淡々とし、冷静に行動した。

世界が、驚愕したのである。
素晴らしい、日本人のあり様であると。

先進国でも、あのような大震災の時には、略奪や、逸脱した行動を取る人たちが、大勢いる。しかし、日本人は、違ったのである。

さて、それは、時に、1900年の中国での、義和団事件の際である。
義和団による、社会の混乱が起きていた時、一人の日本の軍人が、北京駐在武官として、滞在した。
その名は、柴五郎である。

義和団事件は、満州にまで飛び火し、ロシア人が殺傷される事件も起きたことにより、ロシア軍が、怒涛の如く、満州に流れ込む。
そして、街を焼き払い、掠奪し、虐殺し、市民の生活を脅かした。

この時に、ロシア兵も兎も角、精国軍の敗残兵も共に、恐怖だった。
兵士が、市民から、略奪するのは、中国の伝統である。

兵隊とは、市民に乱暴狼藉をはたらくもの、という常識である。

ところが、北京に入城した、日本軍は、その常識を破り、軍規は厳しく、末端の兵士に至るまで、非行をするものはなかった。
この様子は、北京市民にとって、有史以来初めて、目にする光景だった。

それが、たちまち噂となり、市民は、布、紙に、大日本順民、と書いて、日本軍を歓迎したのである。

更に、柴五郎は、北京の領事館区の二ヶ月におよぶ篭城中、攻防戦の指揮官として、各国からの信用を得て、北京落城後は、軍事駐留軍司令官として、治安を担当し、厳しく取り締まりを行った。
暴行、略奪を行った、連合軍兵士は、現行犯で捕まえると、それぞれの、軍司令部に突き出した。

日本軍は、最も規律が正しいことで、その占領地の北城は、すぐに治安を回復したのである。

それに引き替え、ロシア軍に占領された地区は、最悪だった。
その地の、住民たちは、続々と、日本領内に逃げ込み、保護を求めた。
当時の、北京市長は、たまりかねて、マクドナルド英公使に、苦情を訴え、ロシア軍管区を、日本軍管区に替えて欲しいと、懇願したほどである。

この時の柴の功績は、各国からも、評価され、イギリスのエドワード七世、イタリア、エマヌエル皇帝、ペルー大統領、スペイン皇帝、ロシア、ニコライ二世などにも、謁見したという。

柴は、北京にて、清国の警察教育を行い、警務練習所をつくり、中国の近代警察学校の、基礎を築いたのである。

第一次世界大戦後に、日本が、唯一、有色人種でありながら、国際連盟に加入したのは、こういうことからでもある。




posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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