2012年03月04日

ビルマの希望に会う7

チェンライでは、二日間をゆっくりと過ごすことにしていた。
それは、格安航空券の金額にもよる。
二日過ごすと、バンコク行きが、半額になるのだ。

だが、それは、多くの情報を得るために、実に有効だった。

中でも、初めて知ったことは、チェンライ周辺の村々で、農業技術支援をしていた、谷口巳三郎さんを、知ったことである。

ところが、その谷口さんは、先月、一月にお亡くなりになっていた。
チェンマイの小西さんに電話で、問い合わせて、それを知った。

59歳で、単身タイに渡り、20年間の活動である。
89歳で、亡くなったのである。

その方の活動を少し、紹介する。
ここまで、人に尽すことが出来るのか・・・
全く、報いを求めない、支援活動である。

谷口氏は、1923年、大正12年、熊本県八代郡坂本村に生まれる。
熊本県立農業大学教官を退職後、59歳で、タイに渡る。

農業指導、青少年教育に取り組み、1990年に、タイ北部のサクロウ村に、20ヘクタールの「谷口21世紀農場」を設立する。

農業技術指導のみならず、現地高校生の受け入れ、エイズ患者・家族支援、地球環境破壊防止の植林などの活動を続けた。

農業指導も凄いことだが、タイに渡り、10年が過ぎて、エイズ患者との関わりが出来る。

その時は、政府も、医療機関も、組織立った対策を模索していた時期である。
だが、エイズ患者は、どんどんとその数を増すのである。

田口氏は、そのような農村の中で、農村開発の教育センターを造り、活動していた。

タイの農村は、兎に角貧しい。
男も女も、出稼ぎに出る。
そこで、バンコクから戻り、エイズを発症する。

一人のアメリカ人男性から、タイのエイズがはじまったのである。

田口氏は、政府や、国連が大きく騒ぎ始める前から、色々なアイディアで、援助の手を差し延べていた。

その例は、豚の銀行を造り、産鶏卵のプロジェクトを推進し、婦人には、ミシンプロジェクトで、収入を計り、幼児には、ミルクを配給するなど・・・

やがて、エイズ患者が、バタバタと死んでゆくのである。
男は、二、三年のうちに、女は、それより遅く、二、三年遅れて、死ぬ。

更に、エイズに感染した子ども達である。

タイで、最もエイズ患者が多いといわれた、地域である。
しかし、現在は、田口氏の活動の成果で、最も、エイズ患者が少ない地域となった。

田口氏の、言葉である。

そこに困っている人がいれば、
そこに苦しんでいる人がいれば、
そこに助けを求めている人がいれば、
我々は助けなければならない
これが私の援助の哲学であり、エイズ援助への動機である。

エイズ患者たちは、エイズの川に押し流されて死にゆく人々の群れである。それらの人々は押し流されながら、「死にたくない、死にたくない」と言いながら、岸のつかまる物を求めて、枯れ木のごとく痩せ細った手を差し出すが、それは空に舞うのみである。それがエイズの川である。
田口

貧困と、エイズは、切っても切り離せないものだった。

たとえば、男は、出稼ぎにバンコクに行く。そして、ある日、友人に誘われて、興味本位で、売春宿に、二度、三度と行き、エイズになる。

女は、稼ぎの多い、売春の世界に身を入れる。
金が出来たら、村に帰り、農業をすると、決めていた。
しかし、エイズという、得たいの知れない、病に冒され、更に、産んだ子も、エイズになった。

エイズ予防が、言われたのは、後々のことである。
すでに、タイでは、エイズが蔓延していた。

その田口氏の、エイズ患者との、関わりを書いた本がある。
エイズ最前線

私は、ゲストハウスで、一読した。
ここまで、人のために、尽す人がいる。それも、日本人がタイの人たちのために・・・
驚いた。

田口氏の、活動の地図を見ると、チェンライの南の村々である。
チェンマイから見ると、チェンライ寄り。

この偉業は、亡き後、更に評価される。
そして、私が知った時は、すでに亡くなられていた。

田口氏の、奥様は、日本にて、タイとの交流の会を、主宰されている。
その奥様が書いた文に、
「地球上は人口の急増で必ず食糧危機がくる。その時日本人は今のようなやり方をしていたら助けてもらえないだろう。だから今、自分でできることをタイに行ってしておけば、あんな日本人もいたんだからと助けてもらえるかもしれない」
と、出掛けたという。

奥様は、日本に残り、若者に日本人の心を作ることをしたいと、活動を開始した。

だが、田口氏の、活動には、資金がいる。
退職金は、すぐに飛び、貯えを送り続けたが六年で底をついた。と、書く。

その時、新聞の勧誘で来た、助け神のお陰で、新聞に紹介され、タイ国の田口巳三郎氏を支援する会、を作る事ができたと言う。

これから、田口氏の、活動が語り継がれ、更に、そこからタイの農業を背負う、そして、人のために尽すという、人々が続々と生まれるだろう。

素晴らしい人生である。

同じ日本人として、誇りに思うと共に、私も、田口に真似て、出来ることを、出来る限り行為したいと思う。

田口氏の、タイに出掛ける際の、言葉・・・
あんな日本人もいたんだ。日本を助けてあげようと言われるように・・・

単純な動機。
しかし、その単純な動機を、徹底的に生きることは、難しい。

何を言うのか、ではない。
矢張り、何を行うかである。

行為は、言葉を超える。




posted by 天山 at 00:00| ビルマの希望に会う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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