2012年02月01日

カンボジアの悲劇8

トゥクトゥクのお兄さんには、バンコクへ戻る日の、空港行きも、御願いした。
5ドルである。
矢張り、5ドルで良かったのだ。

彼は、私たちと知り合いになり、次も、会うということで、満足したようである。
今度は、更に回りたいと、私は告げた。
ありがとう・・・
と、彼が言う。

さて、翌日の夜である。前回も書いたが、書き足りないので、書き足す。
最後の夜なので、街中に出ることにした。
歓楽街といってもいい。

そこは、別天地である。
ネオン煌く、華やかさ。

屋台が立ち並ぶ通り。
まず、そこで食事をすることにした。
カンボジア名物、いや、シェムリアップ名物である、鍋物。

ジンギスカンの鍋に似たもので、その上に肉を置き、下の空間に水を入れて、野菜を入れる。
その他に、焼き飯も頼む。

多国籍の人たちが、そこに集う。
そこだけが、賑やかな街。

食べ終えて、チェックすると、5ドルである。安い。
しかし、私たちは、いつも、もっと安いものを食べている。

それから、夜の街を見て回った。
三本ほどの道に、レストランから、バーまで、びっしりと並ぶ。

世界の料理が食べられるようである。
一軒、一軒を、見て歩く。

そして、芸人たちが、演奏する道に出た。
そこには、韓国人のグループが大勢いる。

民族楽器を演奏する、五人の前に出た。
その前に置かれた、英語、韓国語、日本語の説明の、日本語を読んだ。

地雷被害の人たちである。
私たちは、もう、物乞いはしません。
演奏という仕事をして、家族を養い、子供を学校に通わせます、という、内容が書かれてある。

私は、2000リエルを出して、箱に入れた。
すると、真ん中にいた、中心人物なのか、その人が、手を合わせて、感謝する。

その時である、後ろにいた、一人の男性が、服を上げて、私に見せた。
えっ・・・
あっ・・・
あの部落にいた人である。
私が差し上げた、服を掲げて見せてくれたのである。

コータが、すぐに写真を撮ろうと言うので、彼の横に行き、写真を撮った。
コータが、習い覚えた、カンボジア語、クメール語で話した。

とても、嬉しかった。

すると、演奏が始まった。
何と、韓国民謡の、アリランである。

そこで、世界一歌の上手い私が、韓国語で、アリランを歌った。
途中から、韓国人たちが、歓声を上げた。
私は、自分の肩掛けバッグの、日の丸を見せた。
すると、拍手はするが、私を見ないのである。

要するに、無視する訳である。

折角の、友好のチャンスと、思ったのに・・・
私の、考えが、甘いのである。

特に、国旗をつけた、韓国人のグループは、そうである。

まあ、いいかっ・・・
演奏の皆さんに、手を振り、そこを去った。
そして、ゲストハウスに向かう。

服の一枚で、知り合いになれるのである。
私は、忘れていたが、相手は、覚えている。
何度も来るうちに、そうして、多くの知り合いが出来る。
私の宝である。

部屋に着くと、八時を過ぎていた。
寝る用意である。

コータは、また、出掛けるらしいが、私は、もう、充分に見た。

思い出したが、帰る道で、女二人に声を掛けられた。
そこで、彼女たちのところに行くと、どうも、変だ。
カトゥーイと、尋ねた。

一人の女が、違うという、仕草である。
しかし、後で、コータが彼女たちに、確認したところ、カトゥーイだった。
カトゥーイというのは、タイで、カンボジアでは、カトーイという言い方をするらしい。

まあ、カンボジアも、レディーボーイが多くなったらしいとのこと。
コータが彼女たちと飲んで、色々と聞いたという。

また、ゲイたちも多くなり、また、観光客のゲイたちに教えられて、ゲイになる、男子もいるという。

いつも、後進国に思うことだが、先進国の進み方を超えて、発展しているようである。
例えば、携帯電話である。
固定電話は持たないが、皆、携帯電話を持つ。
アイホォンという形のものを、持つ人も多い。

情報が、先進国並みに届くということだ。

ゆっくりと、発展するのではなく、急速に発展する。
レディーボーイ、ゲイのことも、そうである。

そして、若者が多いから、いきなり物凄い力で、未来に向かう可能性がある。
アセアン、東南アジアを、馬鹿に出来ないのである。




posted by 天山 at 00:09| カンボジアの悲劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。