2012年01月31日

カンボジアの悲劇7

二日目の朝も、ゲストハウス並びの、屋台のお粥屋さんに向かった時、母親と、二人の男の子を見つけた。
ダンボールを集めて、生活をしている様子。

私は、声を掛けて、カムカムと、言い、親子をゲストハウスまで、連れた。
すべて日本語で、話すが、雰囲気で、通じるようである。

子供たちに衣服を渡す。
そして、母親にも、一枚、長い毛糸の服を渡した。
日焼けを防ぐために、母親は、顔まで覆っていたからだ。

その時、警官や、トゥクトゥクの運転手たちが、オーッと歓声を上げて見ていた。
良かったな・・・
とでも、言っているようである。

二人の子に、靴を上げようとしたが、見つからない。
荷物は、受付前と、部屋に分散して置いていたので、どこにあるか、すぐに、思い出せなかった。

こうして、いつも、アンテナを張って見ている。

母親は、掌を合わせて、正式の挨拶で、私に何度も、感謝していた。
その時、写真を御願いしたのは、そこに寝泊りしていた、日本人の青年である。

彼は、初めての体験だったらしく・・・
こういうこと、されているのですか・・・
と、感心していた。
だが、それ以上、深く関わってこなかった。

誰かが、手伝いたいと言えば、歓迎するつもりだったが、誰一人いなかった。

更に、驚いたことに、高齢の日本人の方々は、興味を示したが、若者たちは、全く、無関心だったことである。

別の世界のこと。
ちらっと、見るが、全く、見ぬ振りをしていた。

四日間の滞在で、二時間の支援・・・
違う。
毎日、必要な人を捜していた。

街に出ると、見るものが違う。
服装や、子供の顔を見て、その状況を想像する。

制服を着ている、裕福な子供たちもいるが、その裕福とは、その町での、裕福であり、日本の富裕層の裕福ではない。

更に、小道を入ると、スラムのような長屋がある。
だが、スラムではなく、それが、普通なのである。

さて、三日目に、隣のゲストハウスに移動した。
1ドル高い、13ドルの部屋は、ホテル並みであり、実に、静かだった。
ドミトリーが無いからである。

ラオスや、カンボジアでは、ホテルと、ゲストハウスの境界線が、曖昧である。
ゲストハウスでも、ホテルと変わらない所も多い。

ただ、川沿いの部屋で、小川が流れているが、汚水をそこに流すので、匂いがする。下水道の設備がなっていないのである。

カンボジアには、北九州市の支援で、水道の施設、管理の技術提供を受けている。それは、まず、プノンペンから始まっている。

それでも、まだ、水道の水は、飲めない。
水道の水が、飲めないということは、歯を磨いた後で、口を漱ぐことも出来ない。だから、ペットボトルの水で、漱ぐ。

更に、野菜に注意なのである。
現地の水で洗うから、食べられない。

タイでは、もうそんなことはない。
口に入るものは、日本の水道水と同じ水を使う。
その水は、自動販売機で、買うことが出来る。
一リットル、一バーツである。2,5円。

焼き飯に添えてある、野菜は、食べなかった。
ただ、食堂でも、水道の水ではなく、殺菌した水をしようしているところの、野菜は、食べる。
それは、厨房の中が、見える食堂である。

屋台は、作る場面が、見えるので、逆に安心である。
ただ、食器を洗う場面を見ると、アウトである。

水が足りないから、洗う水と、漱ぐ水の、二つのバケツで、何度も使うのである。
流している水で、すすぐことはない。
これが、衛生的に受け入れられなく、食べられなくなる。

だから、私は、高級レストランを信じられないのである。
厨房が見えないからである。

屋台は、丸見えであるから、安心する・・・
それに、安い・・・

さて、様々な、事を見聞して、シェムリアップという町を、理解する。

夜、私は、出歩かないから、夜の繁華街は、知らない。
だが、今回、最期の夜に、コータと、繁華街、歓楽街に出て、食事をし、一通り、見て回った。

そこでも、屋台で、食事をした。
レストランと名のつくところの、三分の一以下の料金で、同じようなものを食べられるのである。

チェックと、言うと、会計がされて、紙が出される。
それを見て、こんなに安いの・・・である。

更に、屋台は、楽しい。
呼び込みの人たちが、様々な国の言葉を使うのである。
商売のために、必死で、聞いて覚えるのが、解る。

おいしいよ・・・
安いよ・・・
早く来て・・・
日本人、こんにちは・・・

あちらでは、韓国語、英語・・・
逞しい根性を見せられる。




posted by 天山 at 06:51| カンボジアの悲劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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