2012年01月27日

カンボジアの悲劇3

盲人マッサージの話である。
着いた当日、私は、若い男のマッサージ師がついた。

巧い。
ツボを抑えている。
そして、丁度良い、圧力である。

そして、二日目は、女の盲人の方であり、年配である。
少し、心配した。
しかし、年の功である。
これも、巧い。

この盲人のマッサージ店は、ここだけのようである。
障害者の多くは、乞食をしている。
特に、戦争による、負傷と、地雷による、足の切断である。

ずるようにして、移動する。
その姿は、痛ましい。

更に、子供を連れた、片足の無い父親である。
子供が先に進み、物乞いする。
その後から、お礼を言いつつ、子供に着いて行く。

子供の姿は、着の身着のままである。

タイのように、乞食商売ではない、物乞いである。

プノンペンの最初の旅日記に、私は、ポルポトの悲劇を書き綴った。
本当は、まだまだ、話しがある。
共産主義黒書という、本から、抜粋して、紹介した。

300万人の死者である。
自国民が、自国民を虐殺するという、悲劇である。

30年前のこと。
だから、当時、少年兵だった人たちは、今は、45,50歳あたりである。
だが、その話しは、タブーである。

殺した方も、殺された方も、被害者なのである。
ポルポトという、一人の人間による、共産主義の妄想の被害者なのである。

知識人を皆殺しにした。
このシェムリアップにも、その慰霊塔がある。
プノンペンと同じく、遺骨を積み上げている。
キリング・フィールド、という。

今回は、慰霊をしなかった。
コータに、止められた。
あの状態に耐えられないと、言う。
プノンペンでの、不調である。

それで、私も、霊的な情報は、すべてシャットアウトした。

だから、支援を終えた後でも、マッサージに出掛けた。
400円で、一時間であるから、日本で受けない替わりにと・・・

そこで、今度は、マッサージ店が立ち並ぶ、街中のマッサージ店に行き、ボーイを指名した。
オーナーが、ボーイを呼ぶ。
目を閉じて待つと、目の前に、顔があった。

フットマッサージである。
私は、言った。ストロングオッケー・・・
オッケーと、彼が繰り返した。

英語が出来たので、少し話しをする。
18歳である。
高校生の年である。

彼のマッサージは、男の子らしく、強く、心地よかった。
足裏をどのように揉むのか、興味があった。
いい線いく・・・
足裏は、どんなに強くても、事故にならないのである。

しばし、まどろんだほど、良かった。
そして、最後になった。
脹脛を、強く、押し続けて、筋を伸ばす。

終わって、目を開けると、オーナーも、誰もいない。
と、そこで、彼が、私の顔を近づけてきた。

スペシャル・・・
と、言う。
えっ・・・
スペシャルオッケー・・・
と、私の股間を指した。
ああ、売り込みである。

いくら・・・
30ドル・・・
高い、と日本語で言うと、日本語で、安いと、返してきた。
つまり、日本人を相手にしていたのである。

ボーイを指名したので、ボーイが好きな奴だと、思ったのだ。

彼は、しつこく迫る。
高い・・・
その繰り返しで、ついに、彼は、20ドルと、言ってきた。
私は、いつもの手を使う。
トゥモローね・・・
ノー・・・トゥデー・・・トゥデー

明日という客は、来ないと、とても感がいい。

それでも、明日来ると、言っていると、オーナーの奥さんが戻って来た。
すると、彼は、ぴたりと、話しを止めた。
矢張り、禁止事項なのである。

そこで、私は、付近のマッサージ店に行き、女の子を捕まえて、尋ねた。
スペシャルオッケー・・・
頷く。
幾ら・・・
30ドル。

30ドルで、射精に導くと、知った。
だが、それは、あくまで客との取引であり、店では、関知しないのである。
これは、タイでもそうだが、暗黙の了解なのである。
マッサージ嬢の、手取りは、少ない。それで、スペシャルに、導くのである。
果ては、売春まである。

彼らには、1ドル、2ドルが、大金なのである。
1ドルが、4000リアルであり、日本円では、80円程度。

朝、地元の人たちが食べる、お粥は、2000リアルである。
つまり、40円。
私も、それを毎日食べた。
その屋台は、昼間前に終わる。

私は、いつも、地元の金銭感覚に馴染むために、屋台で、食べるのである。
衛生的・・・
そんなことは、関係無い。
とても、美味しい。

東南アジアの屋台の、洗い場を見るな・・・
と、私たちは、言い合う。

コータは、それで、何度も、あそこには行かないと、言った。
洗い場を見たのである。




posted by 天山 at 00:00| カンボジアの悲劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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