2012年01月19日

もののあわれについて。548

冠者の君も、人の目とまるにつけても、人知れず思ひありき給へど、あたり近くだに寄せず、いとけけしうもてなしたれば、ものつつましきほどの心には、なげかしうて止みぬ。かたちはしもいと心につきて、つらき人のなぐさめにも、見るわざしてむや、と思ふ。




冠者の君も、惟光の娘が目にとまるにつけて、心密かに、思いをかけて、辺りをうろうろする。しかし、傍にも、近づけず、酷く無愛想な態度をとっているので、慎ましい年頃では、嘆くばかりである。その器量は、心に強く残り、あの雲居雁の無情な人に、会えない慰めにも、手に入れたいと、思うのである。




やがて皆とめさせ給ひて、宮仕へすべき御気色ありけれど、この度はまかでさせて、近江のは辛崎の祓、摂津守は難波といどみてまかでぬ。大納言もことさらに参らすべき由奏せさせ給ふ。左衛門の督、その人ならぬを奉りて、とがめありけれど、それもとどめさせ給ふ。




やがて、皆を宮中に残して、お仕えするようにとの、御内意があった、が、今度は、一旦、退出させて、近江の守は、辛崎で祓いをし、攝津のかみは、難波でと競い、退出した。大納言も、改めて、差し上げる旨を奏上される。左衛門のかみは、資格の無い者を差し上げて、お咎めがあったが、それも、残し遊ばれた。


近江の守は、良清である。
摂津の守は、惟光である。

資格の無い者とは、実子ではない者である。





摂津の守は、「典侍あきたるに」と申させたれば、さもやいたはらまし、と大殿も思ひたるを、かの人は聞き給ひて、いと口惜しと思ふ。わが年のほど、くらいなど、かくものげなからずは、請ひ見てましものを、思ふ心ありとだに知らでやみなむこと、わざと事にはあらねど、うちそへて涙ぐまるる折々あり。




摂津のかみは、ないしのすけが、空いていますが、それに、と、申し上げたので、そのようにしてやろう、と、大殿も思っていらっしゃるのを、夕霧が聞いて、大変残念に思う。自分の年や位が、こんなに問題にならないのなら、願い出て、自分のものにしたものを、と、思っていることも、知られずに終わる、と、特に強い恋心ではないが、雲居雁との事に加えて、涙ぐむのである。

いたはらまし
いたはる、から出ている。労をねぎらう。哀れむという意味もある。




兄の童殿上する。つねにこの君に参り仕うまつるを、例よりもなつかしう語らひ給ひて、夕霧「五節はいつかうちへは参る」と問ひ給ふ。童「今年とこそ聞き侍れ」と聞ゆ。夕霧「顔のいとよかりしかば、すずろにこそ恋しけれ。ましが常に見るらむもうらやましきを、また見せてむや」と宣へば、童「いかでかさは侍らむ。心に任せてもえ見侍らず。男兄弟とて近くもよせ侍らねば、まして、いかでか君達には御覧ぜさせむ」と聞ゆ。夕霧「さらば文をだに」とて、賜へり。さきざきかやうの事はいふものを、と苦しけれど、せめて賜へば、いとほしうて、もていぬ。年の程よりは、ざれてやありけむ、をかしと見むり。緑の、このましきかさねなるに、手はまだいと若けれど、生ひさき見えて、いとをかしげに、

夕霧
日かげにも しるかりけめや をとめ子が あまの羽袖に かけし心は

二人見る程に、父ぬしふと寄り来たり。恐ろしうあきれて、え引き隠さず。




惟光の娘の兄で、童殿上して、いつも、この君の所に参って御用を務めている者を、いつもより、優しくお話しになり、夕霧は、五節は、いつ参内するのだ、と、お聞きになる。童は、今年のうちにと、聞いています、と、申し上げる。
夕霧は、器量がよかったので、何となく、慕わしい気がする。お前が、いつも見ているのは、羨ましいが、もう一度、会わせてくれないかと、おっしゃると、童は、そんなことが、どうしてできましょう。私でさえ、思うままに、会えないのですから。男兄弟だということで、身近にも、入れてくれません。まして、若様には、どうして、会わせることができましょう、と、申し上げる。夕霧は、それなら、せめて、手紙だけでも、と、お渡しになる。以前から、こういう事は、やかましく言われていたのに、と、童は、困ったが、無理矢理に、渡すので、それが気の毒で、持って帰った。
娘も、年のわりに、ざれてやありなむ、大人びて、その気になっているので、お手紙を見て、立派なものだと、思った。
緑色の薄い様子に書き、気の効いた色を重ねて、筆跡は、まだ子どもだが、将来が思われるほど、立派である。

夕霧
日の光にも、はっきりと、解ったろう。乙女が、天の羽衣の袖を、ひるがえして舞うという、姿に、思いをかけた、私のことを。

それを、二人で、見ているところに、父親の、惟光が入って来た。怖くて、どうしていいのか解らず、隠すこともできないのである。

日かげ、とは、日の光と、ひかげのかづら、を、懸ける。
かけし、は、日かげ、の、縁語。

日の光の中で、知ったことだろう。私が、お前を、見ていたことを。
それは、乙女が、天の衣をひるがえして、舞った姿を。
忘れられない。

懸想文の一種である。

当時の、恋は、至るところに、あった。
心が動くと、それは、恋になる。



posted by 天山 at 00:54| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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