2012年01月07日

天皇陛下について。100

今の、共産史家やその亜流は、こともなげに、「天皇は将軍の下風に立った」とか「天皇は幕府のあてがいぶちで一小大名に過ぎなかった」とか「将軍は天皇を対等に扱った」とかいうようなことを言うのであるが、いずれも天皇に権力も財力もなかったということに、こじつけた誇張、または歪曲にほかならぬ。
里見

誇張でも、歪曲でもない。
そのようにしか、見ることが、出来ないのである。
色眼鏡でしか、日本を日本の歴史を、そして、天皇の存在を見ることしか、出来ないのである。

一点の視点からのみ、見て、判断、判決を下すのは、共産主義の、観念である。
彼らを、真っ当にするには、千年もの、月日を要するだろう。

共産主義のロジックに、陥ることは、無間地獄に陥ることと、同じである。

さて、ここで、権力も、財力もなかった・・・
ということに、注目する。

天皇家が、困窮した時期は、長い。
皇居の塀が、崩れ落ちる。あばら家のように、なった時期もある。

秀吉などは、あわてて、皇居に駆けつけて、皇居の修復を行ったほどである。

しかし、関白という、官位は、陛下より頂いているのである。
皇居が、いかに、貧しくとも、天皇が、国民の主であることを、権力者は、皆、得心していた。

天子様に、もしものことがあれば、権力者の力が、疑われる。

そして、私は、このことを思う時、天皇という存在は、権力も、財力も無くても、君主として、存在したという、事実である。
驚くべきことである。

軍隊も、財力も持たずに、君主の座にあるというのは、世界史には、在り得ないのである。

徳川将軍は磐石の権力の上に立ち、皇室の政治上のご行動には厳しい干渉を行ったけれども、それだから、天皇は将軍の下位にあるのもだという今時の愚かな歴史学者のような考えや態度をもったわけではない。絶対の権力者であり、政治の上では皇室をさえ支配した将軍が、他の一面では、常に天皇を国家の志尊として十分に認識し臣礼をとっているではないか。
里見

家康、秀忠、家光の、皇居参内は、事実である。
四代家綱が、家光の後を継いだのは、十歳の時で、幼稚にして、上洛して、拝謁の式に臨むことが適さないと、初めて、将軍宣下の式を、江戸で、行った。
それが、以後の例となる。

その、家綱の命名は、幕府から、霊元上皇にご命名を請願し、上皇は鍋松に、その名を、賜ったのである。

水戸光圀は、主君は天皇であるぞ、と、家臣を誡めたのは、有名である。
更に、徳川御三家の、尾張の四代吉通は、光圀の言葉を引きつつ、家中に、今日の官位は、朝廷より任じ下され、従三位中納言と称するからにはこれ朝廷の臣なり、と言う。

兎に角、どれほどの、権力、財力があっても、天皇を君主とみた、日本の権力者は、一体、何を持って、そのように、行為し、言葉にしたのか・・・

中には、足利尊氏のように、後醍醐天皇の、逆賊となって、苦しめたが、彼は、一生良心を苛まれている。
天竜寺は、彼のお詫びの心から、建てたものである。

ここで、天皇は、国体、国体は、国民であると、考えれば、よく解る。
天皇を排除することは、国民を排除することになり、結果は、国民からの、支持が得られないということである。

現在も、圧倒的多数の日本人が、天皇と、皇室の存在を、希求しているのである。

勿論、誰も、強制しない。
天皇陛下ご自身も、強制しないのである。

敗戦後の、日本の復興を、奇跡と言われるが、それより、奇跡なのは、天皇の存在である。何故、日本では、他国にない、無権力の、君主が存在出来るのか、である。

そして、現在の天皇も、政治力は、一切ない。
憲法には、象徴と、記されてある。
と、ところが、いつの時代も、天皇は、象徴であったという、事実である。

そこに、注目する。

この疑問は、昔もあった。
熊沢蕃山の「三輪物語」に、禰宜の質問として、
他の国には誰にても天下をとる人の王と成り給ふに、日本にてはかく天子の御筋一統にして天下を知給ふ人も臣と称し、将軍といひて、天下の権をとり給ふは、いかなる故にておはしますや・・・
と、言う。

荻生徂徠は、諸大名の多くは、
下心には禁裏を誠の君と存ずる輩
であるから、
安心成り難き筋も有成
と、心配するのである。

帝国憲法時代でも、国民の大部分は天皇が大権を掌握しておられるので、国民としては抗争できないから、尊敬しようとか、服従しようとか考えていたわけではない。少しく教養のある者なれば、「統治権ヲ総攬シ」とか「大権ヲ行フ」とかいっても、それは輔弼制度の下において行われるのであるから、結局、天皇の事実上の意思に基づくものではなく、今日と同じ象徴的作用であることは誰でも知っていたのである。
里見

輔弼とは、国民の意見を広く聞し召し、国民の意思に、添って、政治を行うということである。

権力観念を基本として、天皇を尊敬したり軽しめたりする思想は、余程幼稚なものであるということを、この際、日本国民は深く反省すべきだと思う。
里見

誠に、権力作用の内には、ないところの存在が、天皇なのである。

そして、その意味は、日本の歴史を通して、自ずと知るものであること。

ここで、一つ、赤穂浪士の討ち入りに、大石蔵ノ介の心を、決定的にしたのは、時の帝の御言葉である。
浅野匠守あはれである
御簾の向こうより、その声が漏れたと、聞いた。

つまり、帝、陛下が、あはれ、との、お言葉を掛けてくれた。
これぞ、討ち入りの明文であると、決意したのである。

天皇の、勅使を迎えるに辺り、その松の廊下では、刀を用いることは、許されないこと。だが、浅野は、吉良を斬り付けた。

陛下の勅使をお迎えする場では、刃傷に及んではならぬ。
江戸で、起こった事件であり、京の陛下には、関わり無いことである。
しかし、その事件を耳にし、更に、あはれ、とのお言葉には、意味がある。

即日、切腹を命じられた、浅野が、あはれ、なのである。
それを、帝が仰せられたということに、意義がある。

この場合の、あはれ、は、気の毒であり、それは名誉なことではない。
御政道という、幕府に対する、牽制でもある。
まして、朝廷からの、勅使を迎える場面での、行為に、このような不幸があることは、あはれ、なのである。

もし、朝廷に幕府が、事の次第を伝えて、その意向を伺ったなら、浅野匠守は、切腹を免れたかもしれない。
陛下の、大恩として、赦免された可能性もある。




posted by 天山 at 00:22| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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