2011年12月21日

希望のビルマヘ7

青年が、私たちの、活動について尋ねた。
コータが、英語で説明すると、女の子と、何か、やり取りしている。

そして、この町に、新しく、孤児の施設が出来ました。
よければ、その施設に案内しますよ・・・

その施設は、2009年に出来たと言う。
ただ、それだけの情報である。

青年が、私たちと、一緒に行くと、準備をしてくれた。
ちなみに、その日は、女の子の誕生日だった。

それで、人を迎えて、パーティを終えた後で、私たちが、伺ったのだ。
私は、もう一度、女の子に、誕生日ならと、ズボンを示したが、いらないと、首を振る。
つまり、その家は、中流家庭だったのだ。
勿論、家の作りは、大きな小屋という感じだったが、それが、普通なのである。

青年は、バイクタクシーを捜して、三台チャーターした。
荷物は、それぞれのバイクに一つずつと、積んだ。
日本では、考えられないが、バイクの足元の前に、荷物を積むのである。

私は、日の丸を翻して、後ろに乗る。
着物だから、しょうがないと、捲り上げて、両足を開いた。

町の外れにある施設は、結構時間がかかった。

初めて、タチレクの町を眺めた。
慎ましい暮らし振りが、見て取れる。

粗末な作りの家々である。
トタン造りの家が多い。
夏は、暑いだろうと思う。

町を抜けて、バイクが走る。
私の持つ、日の丸の旗が、人々の目を奪う。
コータは、目立つのが嫌だと、日の丸を持たないが、私は、日の丸を掲げるのが好きである。一目で、日本だと、解るからだ。

その、一角に入った。
結構広い敷地である。
白い建物が、三棟ある。
子供たちの姿が見えた。

門を抜けて、建物の前まで行く。
バイクが止まった。

青年が、声を掛けると、尼さんが出て来た。
院長である。
この施設は、尼さんたちのグループが建てたものである。

院長は、英語が出来る。それで、意思の疎通がスムーズになった。
私たちが、初めての支援者だという。

ところが、残りの物は、少ないのである。
院長が、子供たち全員を呼んだ。そして、整列させる。

子供たち・・・
その表情は、悲壮感もなく、かといって、元気溌剌でもなく、静かで、諦観の様子だった。
何を、諦観したのか。
自分たちの身の上であろう。

皆、少数民族の子供たちだというで、よぎったのは、国軍に親を殺された子も、いるだろうということだ。

兎に角、住む家と、食事があること。それだけでも、僥倖である。
その他の、子供たちは、どうしているのか・・・
物乞いといっても、ミャンマーでは、知れている。

更に、女の子は、誰かに連れ去られることもある。

女の子たちが、多かった。
そして、私のバッグにも、女の子物が多かった。
だから、女の子には、上下は、上げられないが、何とか、一人に一つの衣類は、渡せた。だが、男の子の物は、少ない。あの、国境のチルドレンたちに、上げたのである。
五人ほどの、男の子に、一つずつと、渡す事が出来たが、小さな男の子には、渡す物が無いのである。

あああーーー

私は、何も渡すものがなければ、心を渡すしかないと、一人一人の、子どもと、握手した。というより、両手で、子供たちの手を包んだ。
そして、ネームと、尋ねた。
すると、子供たちは、英語を学んでいるので、マイネーム・・・と、答える。

院長が、ここで勉強を教えているのだ。

子供たちの顔が、紅潮した。
嬉しさか、恥ずかしさか・・・

兎に角、私は、両手で、手を抱いた。

その間、バイクの運転手たちも、何やら私たちを手伝うのである。
中味の無いバッグを片付ける。私に、椅子を持ってくる。
私たちの、目的が、解ると、皆、協力してくれる。
益々、ビルマ支援をしなければと、思った。

全員と、握手して、私は、英語で、次に来る時は、沢山プレゼントを持ってきます、と、子供たちに、話し掛けた。
すると、院長が、更に、それを、ビルマ語で語る。
子供たちの、表情が、何となく、期待の眼差しである。
小さな子たちは、瞳を大きく開いて私を見る。

そして、私は、院長に尋ねた。
何が必要ですか・・・
院長は、
ここには、何も無いのです。
タオルから石鹸、文具、何もかも・・・夜にかける物もないのです・・・
それでは、必要な物を書いて欲しいと言うと、青年が、早速、院長から聞いて、紙に書き始めた。

コータは、施設のパンフレットや、住所などを、聞く。

漸く、一通り終わり、さようなら、である。
院長が、日本語で、さようなら・・・子供たちにも、何やら言う。
すると、子供たちが、さようなら、と、口にする。

私は、歌った。
得意の、即興である。

さようなら・さようなら・さようなら・・・
オーッと、院長も、子供たちも、声を上げた。

世界一歌の上手な私の歌であるから、感動するのである。

必ず、また、来るよ・・・
必ず、来るからね・・・
日本語で言う。

バイクのおじさんたちは、私たちのバッグをすでに、足元に積んでいた。

日の丸を掲げて、さようなら・・・と言うと、子供たちも、さようなら・・・と答える。
私たちが、去るまで、子供たちと、院長が、見送る。

まさか、このような展開になるとは、思ってもいなかった。
誰が、この計画を作るのか。
もう、私の、預かり知らぬところで、話しが進んでいるようである。

日本には、あれほど多くの支援物資がある。
いくらでも、いくらでも、ある。
しかし、無い所には、何も無い。
これは、不自然である。

与えることによって、与えられるのではない。
更に、奪われる、だから更に、与えるのである。



posted by 天山 at 06:25| 希望のビルマへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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