2011年12月12日

もののあわれについて。544

殿は、「今の程に内に参り侍りて、夕つ方むかへに参り侍らむ」とて出で給ひぬ。いふかひなき事を、なだらかに言ひなして、さてもやあらまし、と思せど、なほいと心やましければ、人の御程のすこしものものしくなりなむに、かたはならず見なして、その程心ざしの深さ浅さのおもむきをも見定めて、ゆるすとも、ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ、制しいさむとも、一所にては、幼き心のままに、見苦しうこそあらめ、宮もよもあながちに制し宣ふことあらじ、と思せば、女御の御つれづれにことづけて、ここにもかしこにもおいらかに言ひなして、渡し給ふなりけり。




内大臣は、少し参内して、夕方迎えに来ますと、ご挨拶して、出掛けた。今更言っても、しようがないことだから、穏便に言い、二人を一緒にしようか、と、思うが、やはり、癇に障るので、夕霧の身分が、少し、きちんとしたものになってから、一人前になったと、見てから、その時、姫への愛情が深いか、浅いかの様子を見極めて、許すにしても、きちんとした形にしてからにしよう。厳しく言っても、一緒にいては、子供だから、見ていられないことを仕出かすかもしれないし、宮も、まさか強く止めないだろうと、思い、女御の寂しがっていることを理由に、大宮にも、北の方にも、穏やかに、話をして、お連れになるのだった。

物語は、一人称だったり、三人称だったりと、混乱するが、これが、最初の物語の書き方である。というより、手本がないのであるから、物語の原型である。

原文のままに、人の心の機微に、触れるのが、いい。
ここにも かしこにも おいらかに 言ひなして
気配りである。

源氏物語は、気配りの勧めである。
もののあはれ、と、歌の道、そして、心の機微、気配りの、物語である。




宮の御ふみにて、「大臣こそ恨みもし給はめ、君は、さりとも心ざしの程も知り給ふらむ。渡りて見え給へ」と聞え給へれば、いとをかしげに引き繕ひて渡り給へり。十四になむおはしける。かたなりに見え給へど、いと児めかしう、しめやかに、うつくしきさまし給へり。大宮「傍さけ奉らず、明け暮れのもてあそび物に思ひ聞えつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。残り少なき齢の程にて、御有様を見はつまじき事と、命をこそ思ひつれ。今更に見捨ててうつろひ給ふやいづちならむ、と思へば、いとこそあはれなれ」とて泣き給ふ。




大宮は、お手紙で、内大臣は、恨むでしょうが、あなたは、こうなっても、私の気持ちは、解るでしょう。いらして、顔を見せてください、と、おっしゃる。
姫は、見事に、装束を整えて、お出でになった。十四歳におなりになる。成熟し切ってはいられないが、鷹揚で、しとやかに、可愛らしい様子である。大宮は、そばを離れず、朝晩と、お世話をしてきましたのに、お別れすると、寂しくてたまらないことでしょう。余命のない私ですから、あなたの将来は、見届けることは、できないと、つくづく、寿命を考えます。今になって、私を見捨ててゆく先が、どこかと思うと、可哀想でなりません、と言い、泣くのである。





姫君は恥づかしきことを思せば、顔ももたげ給はで、ただ泣きにのみ泣き給ふ。男君の御乳母、宰相の君出で来て、宰相「同じ君とこそ頼み聞えさせつれ。口惜しくかく渡らせ給ふこと。殿はことざまに思しなることおはしますとも、さやうに思しなびかせ給ふな。など、ささめき聞ゆれば、いよいよ恥づかしと思して、物も宣はず。大宮「いで、むつかしき事な聞えられそ。人の宿世宿世、いと定め難く」と宣ふ。宰相「いでや、ものげなし、と、あなづり聞えさせ給ふに侍るめりかし。さりとも、げに、わが君や人におとり聞えさせ給ふ、と、聞し召し合はせよ」と、なま心やましきままに言ふ。





姫君は、何ゆえ恥ずかしいかと、思うので、顔も上げない。ひたすら、泣いてばかりである。男君の、御乳母の宰相の君が出てきて、同じく、ご主人様と思っておりました。惜しいことに、このように、お引き移り遊ばすこと。お父様は、他へ縁付けようとされましても、仰せの通りには、なりませんように。などと、小声で申し上げる。
いよいよ、顔も上げられない思いで、何も言わない。大宮が、さあさあ、面倒なことを、申し上げるでない。人の運命は、誰も、とうてい定めることのできないもの、と、おっしゃる。
宰相は、いいえ、いいえ。若様を一人前でないと、馬鹿にしているのでございます。今はそうでも、そちらの思い通り、若様が、負けるはずはないでしょう。どなたにでも、お聞きになってくださいませ、と、癪に障って言うのである。





冠者の君、物の後に入り居て見給ふに、人のとがめむも、よろしき時こそ苦しかりけれ、いと心細くて、涙おしのごひつつおはする気色、御乳母いと心苦しう見て、宮にとかく聞えたばかりて、夕まぐれの人のまよひに、対面せさせ給へり。かたみにもの恥づかしく胸つぶれて、物もいはで泣き給ふ。夕霧「大臣の御心のいとつらければ、さばれ思ひ止みなむと思へど、恋しうおはせむこそ理なかるべけれ。などて、すこし隙ありぬべかりつる日頃、よそに隔てつらむ」と宣ふさまも、いと若うあはれげなれば、雲居雁「まろも然こそはあらめ」と宣ふ。夕霧「恋しとは思しなやむ」と宣へば、すこしうなづき給ふさまも、幼げなり。




冠者の君、夕霧は、物陰にいて、姫を御覧になっているが、人が見咎めるにせよ、普通の時は、辛くもあったが、今は、心細くて、たまらず、涙を拭いている様子を、御乳母が見て、気の毒に思い、大宮が、夕方で皆ざわめいている際に、姫に会わせた。
互いに、何やら恥ずかしく、胸が騒ぐばかりで、何も言わず、ただ泣くのである。
夕霧は、大臣のお考えが厳しいので、もういい、諦めてしまおうと、思いますが、矢張り、あなたを恋しく思うことでしょう。それが、たまらないのです。どうして、少し自由のある間、会う事無く、離れていたのか、と、おっしゃる様子も、見た目も、可哀想である。雲居雁は、私も同じこと、と、おっしゃる。
夕霧が、恋しいと、思って下さるのか、と、問うと、少し頷く姿も、幼い感じである。

いと 若う あはれげ なれば
とても若くて、あはれ気である。
初めて、あはれげ、という言葉が、出て来た。
あはれ、ではなく、あはれげ、なのである。
可哀想だ・・・

されば、とは、さもあらばあれ、である。
そうならば、そうしろ・・・
もう、どうでもいい・・・

現代に使用される言葉の、原型がある。



posted by 天山 at 00:14| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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