2011年12月10日

もののあわれについて。542

いとど文なども通はむことの難きなめり、と思ふに、いとなげかし。物まいりなどし給へど、さらにまいらで、寝給ひぬるやうなれども、心も空にて、人しづまる程に、中障子を引けど、例はことに鎖し固めなどもせぬを、つと鎖して、人の音もせず。いと心細く覚えて、障子によりかかりて居給へるに、女君も目をさまして、風の音の竹に待ちとられて、うちそよめくに、雁の鳴きわたる声のほのかに聞ゆるに、幼きここちにも、とかく思し乱るるにや、雲居雁「雲居の雁もわがことや」と、ひとりごち給ふけはひ、若うらうたげなり。




今まで以上に、文のやり取りも、難しくなると思うと、まことに悲しい。大宮は、夕食を召し上がるが、君は、何も食べられず、休むようにしていたが、心は落ち着かない。皆が、寝静まる頃に、中の障子を引いてみると、いつもは特別に鍵をかけることもしないのに、しっかりと鍵がかかって、女房の声も聞えない。一人ぼっちの気持ちがして、障子に寄りかかると、女房も目を覚まして、吹く風が竹を震わせて、音を立てる。その一方で、雁が鳴きながら空を渡って行く、声が聞える。子供心にも、あれこれと、悩み、空飛ぶ雁も、私のように、悲しいのか、と、つい、独り言が漏れる様子で、若く可愛らしい。

最後は、作者の言葉である。

幼い心の恋である。




いみじう心もとなければ、夕霧「これあけさせ給へ。小侍従や侍ふ」と宣へど、音もせず。御めのと子なりけり。ひとりごとを聞え給ひけるも恥づかしうて、あいなく御顔も引き入れ給へど、あはれは知らぬにしもあらぬぞ憎きや。めのと達など近く臥して、うちみじろくも苦しければ、かたみに音もせず。

夕霧
さ夜中に 友呼びわたる かりがねに うたて吹きそふ 萩のうは風

身にもしみけるかな」と思ひ続けて、宮の御前にかへりて嘆きがちなるも、御目さめてや聞かせ給ふらむ、とつつましく、みじろき臥し給へり。




男君は、気が気でない。夕霧は、戸を開けて下さい。小侍従はいないのか、と、おっしゃるが、音もしない。小侍従とは、乳母の子である。独り言を言うのも、恥ずかしくなり、訳もなく、顔を衾の中に入れてしまった。恋心は、知らないでもないことは、憎いこと。乳母たちなどが、すぐに傍に寝ていて、少し動いても、大変である。
お互いに音も、立てない。

夕霧
真夜中に、友を呼びながら、飛んでゆく雁の声に、萩の葉ずれの音が、更に、吹き加えること。

身に沁みること、と、思い続けて、大宮の御前に戻り、すぐため息が出るが、大宮が目を覚まして、耳にされると思うと、遠慮して、もじもじと、横になっていらした。

身にもしみけるとは、
古今
吹きくれば 身にもしみける 秋風を 色なきものと 思ひけるかな
からである。




あいなくもの恥づかしうて、わが御方にとく出でて、御文かき給へれど、小侍従にもえ会ひ給はず、かの御方ざまにもえ行かず、胸つぶれて覚え給ふ。女はた、騒がれ給ひし事のみ恥づかしうて、わが身やいかがあらむ、人やいかが思はむとも深く思し入れず、をかしうらうたげにて、うち語らふさまなどを、うとましとも思ひ離れ給はざりけり。またかう騒がるべき事とも思さざりけるを、御後見どももいみじうあばめ聞ゆれば、え言もかよはし給はず。おとなびたる人や、さるべききひまをも作り出づらむ、男君も、今すこしものはかなき年の程にて、ただいと口惜しとのみ思ふ。




むやみに、顔を見られたくないと思い、自分の部屋に早くから入り、手紙を書いているが、小侍従にも、会うことができないのである。
雲居雁の部屋に、行くことも出来ず、辛くてたまらない。女は女で、騒ぎのもとになった事が、顔も赤くなる思いで、自分は、どうなるのか、世間がどう思うだろうかとは、別に気にしていない。美しく、可愛らしいのである。
女房たちが、噂する話しを聞いても、いやな人たちと、嫌いになることもない。それに、こんなに、大騒ぎするとは、思いもなかった。
世話役たちも、酷いことと、お叱りを受けるので、手紙を差し上げることもできない。もっと、大人なら、適当に機会を作り出せるが、男君も、まだ、心細い年頃で、ただ、残念だと、思うばかりである。

随所に、作者の思いが、入る。



posted by 天山 at 00:27| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。