2011年11月06日

天皇陛下について。90

歴代個々の天皇の徳不徳、賢愚、善悪はそのあるがままのものでありながら、しかも万世一系一体の大いなる徳は何であるか。万世一系一体の大いなる価値は何であるかを明るみにみることによって、天皇の意義、価値というものがはっきりしてくるのである。天皇の聖徳は、「万世一系の天皇」においてみるのが本格であって、個々の聖徳は第二義だということを知るべきだ。
里見岸雄

実は、ここに、天皇の奇蹟がある。
万世一系である。

それを、守り続けてきたということ、以外に無い。
人は、生まれに寄らず、その行為による、とは、仏陀の言葉であるが、それは、当時のインド、バラモンのカースト制に対する、激しい批判である。

万世一系とは、その仏陀の言葉に、背くようであるが、全く、意味が違う。

天皇として、生まれた、ということ、それが、すでに、行為なのである。
そのように、日本民族は、考えた。
そこに、奇蹟がある。

世界史の中で、天皇のような、存在を見ることが、あろうか。
皆無である。

統治し、支配する者は、いつかは、倒される。そして、新しい支配者、統治者が、就く。
しかし、天皇は、統治者であるが、万世一系を保たれてきたのである。

生まれに寄らず・・・
それを、超えた存在に、国民が、押し上げたのである。

天皇に、無形の権威を、見出した、国民は、世界に唯一である。

であるから、天皇制ということを、考える場合は、それは、制度ではなく、伝統であると、認証しなければならない。

制度は、作られるもの、作るものである。
しかし、天皇は、作られたものでも、作るものでもなく、すでに、存在していたと、観たのであるから、その先見の明は、素晴らしい。
それこそ、民族の智慧であったと、言うほかに無い。

皇祖皇宗とは、天照大神を総称としての、祖霊のことである。
国民、皆、祖霊なのである。

その象徴として、現世において、天皇を戴くという、考え方は、一体、何によってなったのか。

更に、統治するという、天皇の、御行為である。

それは、統治権とは、別物である。

統治権とは、天皇でなくても、できるものである。
例えば、徳川幕府など。
しかし、統治するというのは、全く、別物である。

大和言葉によって、それを説く。
統治とは、シラスという、大和言葉からなる。

統治は、シナの言葉である。
本来は、シラス尊、しらすみこと、なのである。

それは、窮極的の安定、統一を保持する作用である。天皇の御側について観念すれば、統治なさるのであるが、国民の側についていえば、統治されるのである。
里見

更に、統治されるのと、支配されるのとは、別物である。
支配というのは、それを好まずとも、力の関係により、抵抗できず、更に、抜け出すことができない。

しかし、統治されるというのは、我が身、自分自身で、天皇統治の作用の中に入り込むことである。

天皇をもってわれわれの生活に対する重圧と感ずるのではなく、君民一体的情感により、天皇の中に吸引されてゆくのである。だから、天皇は、対立者ではなく、同一体の根源者と信ぜられ、従って、天皇によって強制的に圧政的に治められているというのではなく、天皇を中心としてみずからおさまり入るわけだ。いわば天皇統治とは、日本民族が天皇を中心として自分で治まっていることにほかならぬ。
里見

統治の、統とは、分裂せずに、一つになるみことであり、治は、整う、求める、ということである。

この意味における統治とは、天皇と国民が対立する関係ではなく、日本民族の自己統治、自己統収にほかならない。それ故、統治は、単に個人的な意志や能力によって行われる減少ではなく、日本民族が天皇を中核としておのずからに、窮極的に一つのもの、永遠のものとしておさまっていくことであって、天皇個人個人の意志で国民を支配するなどと考えるなどとは、とんでもない見当違いなのである。
里見

統治の本質とは、天皇を中核として、民族国家の同一性と、永久性を、保持する、その作用である。

里見氏が、君民一体の情感という言葉を、使う。
この、情感を知らない、忘れた、更に、理解できないというのが、敗戦後の人々である。

その、情感というものを、語りつくさなければ、解らないと、平然として、言う、言える、人々が、多数登場したということである。

それは、主に、欧米の思考方法を、学んだゆえである。
学ぶことは、間違いではなく、大いに、学ぶことであるが、最も、学ばなければならない、わが国のことを、粗末に、おろそかに、してきたのである。

ここに、不幸がある。

日本のことは、日本語で、考えなければならないという、当然のことを、放棄した。
更に、大和言葉で、考えなければならないということを、放棄した。

自らが、自らを、放棄して、どうする。
どこに、わが身の、存在の確たるものがあるのか。
日本の歴史は、我が心のうちに、在るものだという、認識を取り戻すべきである。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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