これは、心理学者、心理分析で、有名な、フロイトの言葉である。
アインシュタインが国際連盟の知的協力国際委員会からの提案、人間にとって最も大事だと思われる問題を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わして下さい、との提案を受けて、フロイトに宛てて、戦争を避けるためにはどうすればよいのか、と自問し、その現実の、糸口を、人間の心自体に問題があると、推測し、その道の専門家である、フロイトに、問い掛けた、答えである。
更に、フロイトは、平和のために、巨大な中央集権的な権力による暴力管理の必要を説いたという。
つまり、それは、ファシズムではないか・・・
フロイトの、答えの是非は、兎も角として、戦争という、暴力行為は、当然であると、考える人たちが、存在するということである。
精神分析の・・・人間心理の・・・
真っ当な、見解であろうが、それでは、今までの、人類の叡智、なるものを、フロイトは、どう考えたのかと、考える。
勿論、より具体的に、丁寧に意見を述べたと、言われるが・・・
そのもの、ズバリ、それで、納得する人も、多々存在する。
国際社会の一つの、問題解決の方法であると・・・
それでは、今までの、平和共存するという、努力を重ねてきた、人類の叡智、智慧は、一体、何なのか・・・
いや、人類は、そんなことは、考えていなかったという人も、いるだろう。
だが、人類は、過酷な自然の中で、相互扶助によって、生き抜いてきたと、私は、考えている。
戦争、つまり、人殺しをはじめたのは、何か、である。
結論から言えば、宗教、それにまつわる、思想である。
生物学的にいえば、人間も、動物である。
耳障りのいい、言葉である。
人間も、動物である。
それを、進めてゆけば、何事も、許されることになる。
キリスト教圏においても、そのように、返答した、フロイトであるから、戦争、殺し合いの、意味が、他の動物と違うと、何故、指摘できなかったのか、不思議である。
それで、説けば、種族保存の本能から、本能的なもの、すべてが、戦争と、人殺しを、容認することになる。
それでは、ユングならば、どのように、答えたのか。
深層心理における、記憶の問題が、戦争、人殺しに、通じているというのか・・・
心理学が、平和に貢献しないのならば、その存在意義は、人間を分析して、遊ぶおもちゃのようなものである。
更に、心理学という、学問を使い、勝手気ままにに、人の心を、分析して、遊ぶ、くだらない学問になり得る。
うつ病治療に、精神分析をしても、治らないことの方が、多い。
坑欝剤を、一つ飲む方が、効き目がある。
心理学なるもの、まだ、進化していないようである。
更に、学者、医者に、カウンセリングをしてもらうより、自己カウンセリングによって、改善する人の方が多い。
あるいは、別な方法も、多々ある。
心理学用語を使用する人には、注意が必要である。
騙しのテクニックだからである。
と、まあ、フロイトの、言葉から、戦争肯定が出たことに、私は、驚いているし、更に、ファシズムを容認したことにも、驚いた。
そして、それを実験した人が、その書簡を交わした年に、ドイツ第一党となった、ナチ党の、ヒトラーである。
彼は、大統領を兼ね、総統になった。
そして、独裁政治を行い、戦争まっしぐらであり、ユダヤ人大虐殺をやって、のけたのである。
私は、仏陀を、宗教家というより、古代の心理学者だと、理解している。
彼は、すべては、心によると、教えた。
心に発するものが、現実になる。
だから、と、心の、有り方を、説いて教え、生活指導をしたのである。
物事は、心に基づき、心を主とし、心によって、作り出される。
これが、仏陀の、すべての指導の主だった。
人間も、動物である限り、そのように、生きるべきだとは、言わなかった。
つまり、人間は、動物と違うということである。
何が違うか。
人間には、心という、もの、を、持つと、言明しているのである。
心理学で、解決する問題は、個人の、瑣末な問題に、限る。
心理学で言う心、仏陀の言う心は、同じものか、違うのか・・・
私は、霊学という、エッセイで、それを、徹底的に、解りやすく、そして、心理学で扱う心の、領域が、とても、狭いものであることを、書き続けて、心、それが、霊的存在であるという、ところまで、進めたいと、考えている。
ユングにおける、無意識といわれる、潜在意識が、果たして、霊的なものに、つながるのかにも、興味がある。
心と、霊と、魂というものの、定義を、考えたいと思うのである。