2011年11月03日

タイで考えたこと3

微笑みの国タイ、というが、いつも微笑んでばかりいるわけではない。
逆に、私は、微笑まないタイ人を多く見る。

微笑む状況にない、タイ人は、過酷な運命にいる。

彼らが微笑むのは、私に対してだけである。

新しいスラムを訪ねた。
パタヤには、東北地方から、多くの人たちが仕事を求めて、やって来る。
その中には、その人たちのための、食堂を始める人、屋台を出す人たちがいる。

スラムというのは、ただの空き地を不法占領して行っているから、いつ、トラックが来て、潰されても、文句は言えない。

そういう、食堂のある場所に出掛けた。

極めて、悲惨な状態である。
不衛生極まりない。

裏側から入ったせいか、すべてを理解した。
調理場も、洗い場も、それを見たら、誰も食べ物を食べる気がしなくなるだろう。
しかし、地方から出て来た、貧しい人たちは、安いので、利用する。

寝るための、小屋が後ろに建つ。
トイレは、三角に囲い、ただ、穴を掘っただけ。

暑いのに、クーラーもない状態で、食堂がある。

そこに集まる人たちに、少ないが、衣類と、子供たちには、現地で買った、ノートと、えんぴつを配った。

辻さんが置いていった、着替えの衣服と、タオル類、そして、私とコータも、着替えのシャツを何枚か、出した。

皆さん、とても喜んで貰う。

シャツ一枚買うことと、食べる事は、同じこと。
200バーツのシャツを買うことは、10回分の食事になるのだから、彼らの経済を助けることになる。

裏で、洗物をしていた、若い女性に、私は、恥ずかしく思いつつ、辻さんが、置いていった、生理用品を渡した。
ジャパンのもの・・・
若い女は、とても、喜んだ。
恥ずかしいという、気持ちは無い。

子供たちも、ノートと、えんぴつを渡すと、しっかりと、お礼を言う。
女性たちは、日本の物は、本当に良いものと、感嘆する。

私は、汗をかいていた。
水を勧められたが、丁寧に断った。
水道の水を使用しているかもしれない。

すべてが、簡易なのだから、何でもありである。

本当に、支援物資は、何も無くなった。
もう、何も出来ない。

そこから近い、スラムには、入ることも出来ないほどだった。
子供たち三人が、遊んでいたが、着の身着のままである。

例えば、親が工事現場で働くと、子供たちも着いてきて、一緒に、工事現場の小屋で、暮らしている。

時々、そんな子供たちに、私は、お菓子を買って渡した。

パタヤは、歓楽街であるから、観光客は、それらの姿を見ない。見えない。
それで、いい。
楽しむことによって、金を落とし、少しばかり、人々に配分される。

日々を生きる。
それを、目の当たりにする。
しかし、悲壮感は無い。

空き地で、麺類を売る夫婦に出会った。
目の前で、お湯に通すので、私たちは、そこで食べた。

赤ん坊を連れて、出稼ぎである。
25バーツ程度で、食べられる。
その商売道具も、セットで、借りているらしい。

僅かな収入を頼りに、働く。
そういう人たちが、ごまんといるのが、パタヤである。

物売りたち・・・
パタヤを売り歩く。

人が集まる所では、少しのアイディアで、商売が出来る。
市場で買った、果物をカットし、食べやすいようにして、売る人たち。

不況の日本でも、道路法を改めて、屋台を認めれば、仕事を失った人たちが、屋台を開く事が出来るはず。
タイのように、それを実行すれば、日銭は、稼げる。

インターネットを使い、大金を得るという、情報に溢れているが、それは、一過性のものである。

それらを、否定しないが、それでお金を得て、どうするかである。
使えないほどの、金を得て、ニタニタ笑っているとしたら、アホである。

目的が、ただ、金という、人生の空しさを、死の床で知るはず。

更に、金で、すべてが解決する訳ではない。
もし、私が、彼らに、定期的に金を渡したら、彼らの人生は、貰うことで、終わる。何も、創作的なことはしない。

衣服より、金という、馬鹿者がいるが、全く、考えが浅いのである。
愚かな人は、死んでからも、愚かである。



posted by 天山 at 06:49| 孤児たちを訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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