2011年10月31日

孤児たちを訪ねて7

日本とタイの時差は、二時間。
タイの方が、早い。

朝起きるのは、五時、つまり、日本時間の、七時である。
バンコクならば、もう、この頃から、皆さんが動き始めているが、メーソートは、田舎であるから、遅い。

ただ、ホテル並びの食堂は、朝の六時から開店している。
でも、すぐに、食べる気がしない。

空のなったバッグの整理をする。
一つのバッグに、五個のバッグを縮めて、入れる。
行きは、大変だが、帰りは、楽々である。

食事は、八時と決めている。
コータと二人の時は、それぞれ。
今回は、辻さんが一緒なので、予定めいたことを決めるという・・・

その日、一日は、休息の日。
ただ、ぼりやりとして、休む。

八時になり、食事に向かう。
三人は、疲れていた。
それでも、話題は、明るい。

明日は、ホテルを朝の11時に出発して、バンコクへ。
それだけ、確認して、後は、思うままに、会話する。

辻さんにとっては、念願のメーソートだった。
一度、孤児たちの逢いたいと、言っていた。
そして、その現状を見た。
感激と、悲しみと、切なさと、そして、希望を持った。

森の中の、子供たちの服装は、私たちが、差し上げたもので、変わった。

三度の支援で、ようやく、あの程度である。
持続した、支援が必要である。

昼食は、それぞれ自由にした。
兎に角、私は、部屋で休む。

辻さんには、折角だから、町を歩いたらいいと、アドバイスならぬ、お勧めである。

私たちの、泊まるホテルにも、住み込みのベッドメークの女性三名が、ミャンマー人であった。
まだ、若い娘である。
仕事が見つかったことが、良かった。

辻さんの提案で、その三人にも、何か差し上げることにした。
辻さんが、一つの袋を部屋に置き忘れたので、それが、役立った。
皆、女性用である。

そこから、タオルと、ハンカチなどを見つけて、ベッドメークの際に、部屋に呼んだ。
一人の女の子だけが、英語が出来たので、話す事が出来た。

三人が、揃って、私は、差し上げるものを、ベッドに広げた。
好きなものを、プレゼントします・・・
すると、すべて、彼女たちは、受け取った。

手を合わせて、感謝する。
私も、同じように、手を合わせて、タイ式の挨拶をした。

また、ここに来ます・・・
また、逢いましょう・・・

実は、このホテルの料金が、半額程度の値段になり、私たちは、驚いていた。
ホテルの路線を変えたのか・・・

ラブホテル替わりにも、使用出来る・・・料金・・・
それは、夜確認している。

何せ、一泊、280バーツである。
以前は、その倍だった。

そこで、コータが、調べた。
何と、ホテルの前に、売春斡旋の店があったのだ。
全く、気づかない。

だが、夜になると、暗がりの中に女が立つという。
そして、話しかけると、売春であった。

その他に、ホテルに依頼しても、ミャンマー人の、若い女の子を斡旋するという。

昼、私は、朝と同じ、食堂へ、コータと、辻さんは、おしゃれなイタリアンへ・・・

その後、私は、市場を歩いた。
何も買うものがないが、ただ、見て歩くだけで、楽しい。

生きたまま、売られるカエル、蛇、鶏・・・
鳩の子供の、丸揚げ・・・
ブタは、すべての部分を食べるようで、全部、並べて売られる。

兎に角、食文化の違いを、見て回る。

夜の食事で、それぞれの一日を話す。
この町は、臭いということになった。
黴臭いのである。

確かに、カビの匂いがする。
更に、ホテルのベッドも、黴臭いのである。

あの行為だけなら、一ニ時間で、終わるし・・・ね
でも、安いから、いい。
とは、私。

700円程度の部屋であるから、とても、安い。
この旅日記は、タイで考えたことと、題して、まだ、続ける。



posted by 天山 at 06:34| 孤児たちを訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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