2011年10月30日

孤児たちを訪ねて6

孤児たちの施設と、孤児たちの学校、病院を回り、すべてを終えた時間は、五時間を過ぎていた。

ホテルから出て、昼の三時近く、漸く、レストランに着いた。
毎回、中華レストランで、会食をする。

中野さんのお孫さんに運転して貰い、そのお母さんに、通訳と道案内を、そして、広倉さんと、その娘さんの手伝いで、このように無事に終えた。
この方々の、協力によって、誰も出来ない支援をすることが、出来た。

さて、現在の、ミャンマー政権は、軍事政権から民主化へと、歩みだしたとの、姿勢であるが、まだまだ、民主化は遠い。

政治犯の釈放を謳うが、一度釈放して、再度、逮捕するということも、十分に考えられる。単なる、パフォーマンスの場合、多々あり。
信じられないのは、ミャンマーの学校教育である。

何と、子供たちに、自習をさせている。
つまり、何も、教えていない。
お金のある子供は、先生の所に行き、学ぶと言う。
つまり、塾のような形である。

愚民化政策であろう。

更に、少数民族に対する、対応は、変わらない。
差別と、行政の支援が無い。

少数民族は、今、結束して、国と対峙する。
所により、国軍と、内戦状態にある。

国民を平等に扱わない限り、それは、続く。

更に、難民問題である。
タイ政府は、難民、移民のミャンマーへの送還を計画している。
だが、無理であろうと、思う。

暮らしを立てて行けない国に、戻る人がいるか・・・

200万人以上の、ミャンマー人が、タイ国内に存在する。
このところ、人攫いが横行していると、広倉さんが、教えてくれた。

ミャンマー人の子供をさらい、物乞いにして、金を得る、組織があるという。

これは、インドなどでも、問題になっている。
インドでは、更に、子供に怪我をさせて、人の哀れを誘うという。
非人道的な行為が、行われているのである。

足を折ったり、腕を切り落としたり・・・

私たちは、この後で、カンボジア流民の支援をする、計画だったが、今までの、様子と違うことに、違和感を覚えた。
それは、また、後で書く。

さて、メーソートには、何度も足を運ぶつもりであるが、来年の予定は、立てていない。
出来れば、一年後と思うが、回る国が多い。

今年の最後は、矢張り、ミャンマー国境の町、メーサイに出掛けて、ミャンマー側のタチレクに入る予定である。
タイ国境から、ミャンマーに入れるのは、そこが、唯一である。

六人の食事は、日本語、英語、タイ語、そして、カレン語と、華やかな言葉である。
ここで、私たちは、食べ過ぎて、夜の食事が出来なかったほど。

最後に、残った物を、広倉さんが、テイクアウトしてくれたので、ありがたい。
食べ物を残すのは、身に沁みて、辛い私である。

この、食べ物のために、体を売る人たちもいる。

食べるために・・・

日本では、考えられない状況下にある人たち・・・

食べ物のために、泣き、笑う人生がある。
決して、粗末にしては、いけないもの、それが、食べ物である。

私たちは、明日の一日を、休んで過ごすことにしていた。
それを、広倉さんに言うと、車で一時間の所に、温泉がありますよと、誘ってくれたが、私は、温泉に入ったら、倒れてしまいますと、断った。

実際、本当に疲れるのだ。
手渡すという行為は、一人一人に、心を配るのである。
だから、疲れる。勿論、楽しい疲れであるが、体は、矢張り、辛い。

私は、医者から、臀部の痛みは、使い過ぎと、言われている。
それが、腰までに至ると、ヘルニアになるとも、言われた。

注意、注意である。
まだ、活動を続けるために、無理は、禁物。

皆さんに、深くお礼を言い、ホテルに戻る。
初めての、辻さんも、感激と、疲労で、力が出ないようだ。
兎に角、休むに限る。

広倉さんと、運転のお孫さんは、また、帰りの空港まで、送って下さるということで、別れた。

ホテルの部屋に入り、シャワーを浴びて、一安心。

果物が、食べたい。
タイでは、果物が美味しい。
スイカ、パイナップル、バナナ、マンゴー・・・
そして、年中、とうもろこしが、食べられる。

でも、遅い昼食で、満腹で、もう何も入らない。

兎に角、安全、無事に、するべきことを終えた安堵感である。
辻さんも、部屋から、出て来なかった。




posted by 天山 at 01:04| 孤児たちを訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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