将来売春婦になるような娘たちの成長する環境にいる人々の知的水準は、必ずしも初等教育修了証書をとる水準に達していないし、この水準を超えることはめったにない。
と、書く。
確かに、東南アジアでも、義務教育があっても、貧しさにより、学校に通えないという、女の子たちが、多いのが現実。
更に、驚くべきは、私がラオスの、ルアンパバーンの郊外の村に支援に出掛けて、学校を案内されたが、建物があるだけで、子供たちは、先生も、教科書も、ノートも、鉛筆も無いという状態だった。
義務教育とは、名ばかりである。
ミャンマーでは、民主的政権が出来たというが、その裏では、学校教育を放棄し、子供たちは、学校来て、自習させるというから、驚く。
それでは、学びたい子は、親が金を持っていて、先生の自宅に通わせるという。
まさに、愚民政策である。
さて、知的低いのは、本人の意思ではないということが、問題である。
それは、国と、環境が生み出すもの。
子供たちにとっては、不可抗力である。
女の子は、特に、学問を必要としないとの、考え方も根強い。
あの、アフガンのタリバン政権は、女子の教育を認めていなかった。
それは、また、差別の問題にもなる。
売春は、何処の国、どの時代でも、存在する。しかし、不可抗力によって、売春婦になる、女性たちが、多数いるということである。
次に続けると、個人的な要因に関連した、売春婦の環境の問題であると、マンシニは、指摘する。
その一つは、若さである。
青春期を過ぎたか過ぎないかのうちに人間がある環境に完全にはまりこむとこは成人がそうなる場合と同じではない。
マンシニ
一般に観察されるところであるが、売春婦が法律上の成年などとは無関係に行われているということである。
マンシニ
つまり、どんな年齢からでも、売春は、はじめられる。
若ければ、若いほど、もてはやされるのも、売春である。
マニラで、声を掛けられるのは、18歳の処女を買わないか・・・である。
日本円で、五万円。
一体、誰が、買うのかと、尋ねると、日本人なら、買うというから、呆れた。
更に、詳しく、ポン引きのおじさんに、ご飯をご馳走して、話しを聞くと、貧しい親の元に行き、交渉するのだという。
そして、その取り分は・・・
それには、答えなかった。
マニラには、ホームレスの人たちが多い。
その中には、女の子も沢山いる。
その、女の子たちが、狙われるのである。
そのために、坊主頭にしている、女の子もいる。
さて、客の心理から、見ると、若い女・・・だから、いい、と言うだけではない。
若さをアピールするのは、業者である。更に、女のヒモたちである。
日本人の男は、若さを買うが、欧米人、アラブ人、インド人などは、違う。
その女性の、すべてを買う。
つまり、売春婦を旅の供に、連れて歩くのである。
何故か。
ある程度の、年齢の売春婦は、旅人の良い案内になり、更に、現地の情報を知り、更に、交渉し、値切ることも出来る。
実に、上手な使い方をするものである。
若い娘は、役に立たないと、知っている。
更に、セックスも、若い女は、下手糞なのである。
さて、業者や、ヒモたちが、注目するのは、独身の女、あるいは、離婚した女たちである。
最も、話しがしやすいのである。
更に、その親を口説くのである。
マンシニは、第二の要因として、性的誘惑を上げている。
それは、ヒモが彼女たちを支配する早さに応じてではあるが、多かれ少なかれ何度か予備的な冒険を試みた後で、はじめてこうした状態への変化が生ずる。
マンシニ
しかし、女が売春に入り込む動機が、多少とも、病的な性的欲望と考えることは、とんでもない、誤りである。
生理的必要から売春を行うものは千人に一人もいない。
サコット
学者の書くものは、面倒な言葉が多いので、私の言葉にして、書く。
端的に、オーガズムを感じる女が、売春を続けることは、できない。
感じる者が、多くの男を相手にすることは、命を削ることになる。
やや不感症、冷感症ぎみにならなければ、売春行為など、やれないのである。
性的刺激に敏感な、女は、売春の世界から、はじかれて、しまうのである。
児童買春の現場で、行われることは、電気ショックを与えて、感覚を麻痺させるというから、仰天すると供に、憤慨する。