2011年09月21日

ビサヤ諸島への旅6

ネグロスに上陸した敵軍は、その後ますます増強され、わが軍は一戦ごとに戦いに利あらず、ひそかに筑波山に集結しなおして、敵に大決戦を挑まんとしていた。順次、山麓に移動を完了したわが精鋭の各部隊は、布陣も終わり、工兵隊本部の到着を待っていた。平地戦の舞台を筑波山の山岳戦に移して、戦おうというわけだった。・・・
ある日の午後、多数の武器弾薬、その他多くの物資を軍用車に満載して、シライの町を後にした。
池平八

それは、逃げの、戦いになった。
筑波山とは、マンダラガン山を、日本名にして、呼んだのだ。

今夜からは、真にわが命をかけて、最後の決戦へのぞむのである。事実上の第一線に戦場に立つのである。
池平八

そして、日本軍は、山へ、山へと、逃れることになる。
敵軍の、物量は、遥かに、日本軍を凌駕していた。

負け戦の様子は、悲劇である。

多くの戦友の命が、一瞬のうちに、引き裂かれ、飛散する。右の陣地で、そして中央陣地で、はたまた左方陣地で、間断なく光の渦が、さか巻く。生き地獄の鬼火が、各所に次々と燃え上がり夜空を真紅に染める。そのつど戦友の生命が乱舞しながら闇の底に消えて行く。
池平八

延々として、その戦闘が、繰り返されるのである。
精神に異常をきたすものもいる。

目の前で、戦友が死ぬという、事実を、どう見つめていたのか・・・

精神に異常をきたして、当然である。

局地戦のたびに多くの将兵が第一線の、そのまた最前線において傷つき倒れ、花のように散っていった。死の直前に「お母さん」のたった一言さえ言えずに、戦場の露と消えた人もいる。長い戦いの中で、ある将校二人が、「この戦場において天皇陛下万歳の一声もこの耳に聞き取ることはなかった」「ただ一度だけ、お母さん、と叫ぶ声を聞いた」と歩きながら話していたのを私は通りすがりに聞いたが、全くそのとおりだと思う。これほど激しい戦いの場が、他にあっただろうか。また仮に「お母さん」と呼ぶ一瞬の時を神が与えたとしても、「天皇陛下万歳」と心から叫ぶ将兵が、近代日本の戦場に倒れた数百人の将兵の中に一人たりともいたであろうかと、私はいぶかる。
池平八

更に、普段は、大言壮語していた、将校、下士官、古兵などがいたが、戦場には、一度も立たないという、臆病者もいたのである。

上官風を吹かして、兵隊を馬鹿にしていた者が、一切、戦場では、動かなかったともいう。

だが、それでも、死んだ。

そして、日本軍は、死の道行きを、はじめる。
山の中を、逃げ惑うのである。

精神病者、夢遊病者が、続出したという。
そのまま、山中に、迷い、二度と姿を現さない者もいた。
彼らも、死んだのである。

長く続いた激戦の恐怖と、食糧不足による疲労衰弱が重複して、わずかな爆音、飛行音を耳にするだけで、恐怖の奈落の底に呻吟して奇声を出す者や、泣き叫ぶ者がいる。突然駆け出す者もおり、早くから、その兆候がでていたようである。
池平八

落伍者は、所持する食料を食べつくした時点で、餓死するしかないだろう。
池平八

もう、全滅であるが、生きている者は、生きなければならない。
水を沸かす。その中に、米粒が、数えるほどになる。

行く先々で、次々と餓死者の山を残しての逃避行である。もう食糧は、いくばくもない。数日後には、残るわれわれも座して死を待つよりほかないまでに、追い詰められてしまった。
池平八

壮絶極まる状態の中で、池氏は、考えた。

戦場では、戦死であれ飢え死にであれ、日の丸の旗とともに死ねば本望と信じて、誰一人疑う者はいない。日本のために死ぬのだと、日本の勇敢な将兵は覚悟を決めて、勇躍征途についたものだ。昨日まではあの真紅の日の丸を一目見れば、喜んで死んでいけると思っていたが、でも、今は違う。死んではならないと思い始めた。あの太郎山の激戦は、完敗であった。
池平八

死を目の前にして、死んではならないと、思う心の、あはれ、さ、である。

もう死んではならない。何のために、なぜ飢えてまで、異郷の果てに来てまで、おろかな死を選ばなければならないのであろうか。二度とあの旗の下で死んではならぬ。
池平八

おろかな、死、である。
戦争とは、愚かな死なのである。
そして、それを、戦場でこそ、考えて、得心するものなのである。

単なる、平和主義ではない。
戦場の場で、愚かな死を、否定する。

多くの戦友が、あの旗ゆえに、尊い命を失った。そして、副官も、傷つき病んで飢え、哀れで悲しい最期をとげた。けれど、私は死んではならぬ。
池平八

一人の人間の考え方が、なぜこうも百八十度転換した思いに変化していったのか。今の思いはどうしたのか。あまりにも多くの戦友が私の目の前で死んだ。しかも、その死が普通の死ではない。彼らの多くが、天命を全うしての死であれば、こうも思いはしないであろう。皆、死んだ。餓死したのだ。その死が悲惨の極みの限りを尽くした。
池平八

そして、山中の、温泉に浸かりつつ、その温泉で、死にゆく、戦友を感情を失くして、見つめている。
恐ろしい程の、臨場感である。
私は、この戦記を、時々、読み返す。

そして、私は、その戦場に、追悼慰霊に訪ねてきたのである。

祝詞を唱え、ご苦労さまでした、古里にお帰りください・・・
この場から、離れてください・・・

そして、次第に、私は、沈黙する。
黙祷以外に、方法がないのである。

ただ、じっと、頭を下げて、黙祷する、以外に、この事実に向き合うことは、出来ない。

もう、ここで、引用するのは、止める。
ネグロス島戦記
池平八 
光人社NF文庫

230万人の、戦没者に、心からの黙祷を捧げる。
ありがとうございました

何にてか
捧げ奉らん
この祈り
ただに風のみ
過ぎ去るままに

山中の温泉から、遺骨が、シライ川に流れたという。
そして、海へ

はるばると
いつしか人は
流れ去る
何故に生まれて
生きるのか問う

もののあはれ極まる



posted by 天山 at 07:02| ビサヤ諸島への旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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