2011年09月17日

ビサヤ諸島への旅2

セブ島では、マクタン島の観光地ではなく、セブシティに滞在した。
そして、今回は、スラムを主にした、支援を予定していた。勿論、ストリートチルドレンも、であるが、ネグロス島、バコロドでの、孤児院のために、ある程度セーブして、支援することにした。

バコロドには、二箱の支援物資を送っていた。
持参したものを合わせると、おおよそ、130キロ分は、あった。

二日目の日に、スラムに入るために、ホテルフロントの女性に、場所を尋ねた。すると、彼女から、スラムより、火災によって、多くの人が、テントで暮らしている場所があるとのこと。

是非、そちらに、支援して欲しいと、頼まれた。

大きな火災があり、人々が、焼け出されたという。
着の身着のままである。

そして、出掛けて、驚いた。
スラムの横の、一丁角に、テントがずらりと、張られている。

テント生活をする人々。

ハロー
フロム・ジャパン・プレゼント、と、声を掛けると、皆、笑顔で、迎えてくれた。
しかし、支援物資は、三つのバッグのみ。
足りる訳が無い。

最初の家族に、衣類を出していると、人々が、集まってきた。
そして、私が、先に進もうとすると、バッグを持ってくれる人がいる。

誰も、我も我もと、奪わないのである。

そして、騒がしくなると、私は、マイネーム・ジャパニーズ・テンと、挨拶する。
静かに、静かにと、両手で、抑えると、男たちが、何か言う。
そうだ、そうだと、聞える。

日本の、フェイスタオルを出した。
女たちが、殺到する。
タオル・・・
道端で、売っている。しかし、それさえも、買えない。

貧しい人たちが、火災で、焼け出されて、精々、テントを張って、住む場所を確保するのが、精一杯の行政である。

雨が降らなければ、外で、食事をするという。

兎に角、すべての物資を、手渡した。
そして、バッグも、二つ差し上げることにした。
何人かが、バッグが欲しいと言うのである。

バッグを渡して、バーイと言うが、名残惜しい。
サンキュー・・・・
皆さんが、口々に言う。

私は、ネクスト・タイム・・・スィユーアゲン・・・
子供たちも、手を振る。
更に、カメラを向けると、子供たちは、ポーズをつけてくれる。

フィリピンの人たちは、明るい。それが、救いである。

ユーモアに満ちていると、私は、感じる。

戻りつつ、スラムの方を見る。
トタン屋根の長屋が、長く続いている。

貧しさを絵に描いたようである。

だが、貧しさに負けないのである。
その場を、いかに、楽しく過ごすか・・・
それが、フィリピン人の、底力である。

その、タガが、外れると、とんでもない、事態になることも、特徴。
人がすぐに、殺されるという・・・

拳銃を売る店を見た。
誰でも、気軽に買うことが、出来るのである。

まさに、アメリカ並み。

宗教は、スペインが、銃は、アメリカが、持ち込んだ。

フィリピンは、カトリックの国であるが、その残虐性は、スペインからのものでもある。
スペインとアメリカに、支配された時代が、長く続き、自国の文化を、育てられなかった。いや、一時期、日本統治の時代は、少しばかり、フィリピン独自の文化が、花開いた。

だが、日本は、フィリピンとの、約束を破ったことが、残念である。
フィリピンを、支配しない、植民地にしないと、約束したのであるが、それを、反古にしたのである。

だから、日本は、裏切り者の、代名詞にもなった。

今は、親日感情は、強い。
日本は、様々な、支援を続けてきた。
勿論、アメリカは、莫大なお金を、出し続けたが、今尚、貧しい国である。

何故か。
その金を、政治家たちが、搾取するからである。

前大統領の、アロヨも、結局は、不正蓄財と、汚職に関わった。更に、選挙の不正である。
これから、アキノ大統領は、逮捕状を取り、アロヨは、罪に問われることになる。

現在の、アキノ大統領は、母親が、大統領として、貧しいフィリピンを立て直す努力をした。国民は、その母親の、息子のアキノに、期待する。

私も、期待している。

障害者が、路上生活をしなくてすむ国に、して欲しい。孤児たちの、施設を充実させて欲しい。

ミンダナオ島の、反政府勢力、イスラムとの、対話を続けて欲しい。

本来、フィリピンは、イスラムの国だったのだ。




posted by 天山 at 11:42| ビサヤ諸島への旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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