2011年09月16日

ビサヤ諸島への旅

深夜、10時過ぎに、マニラに着いた私たちは、国内線乗り場に、移動した。
何せ、朝、四時のセブ島行きに乗る。

国内線の空港で、その時間を待つことにした。
それが、また、疲れる。

私は、ついに、搭乗受付の前で、布を広げて寝た。
気づくと、大勢の人たちが、私を見下ろしている。

朝の、三時前に、登場手続きが、始まった。

荷物のことが、気がかり。
きっと、重量オーバーである。
そして、案の定。

2000ペソも、かかる。
何とか、機内持ち込みのバッグに詰めて、1500ペソに、減らした。
つまり、4000円から、3000円にしたのである。

セブ島行きの飛行機の中では、ただ、眠る。
六時前に、到着。

そのまま、観光地マクタン島から、セブシティに直行して、いつもの、ホテルに向かう。
町外れの、静かな場所、更に、川が流れていて、少しばかり、風情がある。

ホテルに着いて、すぐに、シャワーを浴びて、ベッドに横になる。
まだ、朝であるから、実に静かだ。
いや、鶏の鳴き声が煩い。

日本のホテルと違い、いつでも、チェックインできる。追加料金もない。

今回の、セブ島は、三度目、ネグロス島も、三度目である。
しかし、最初のネグロス島は、南のトマゲッテイという町に間違って行き、出直して、三度目である。
バコロドという、ネグロス島の、州都に当る町に行く。

そこは、第二次世界大戦の、フィリピン、第三の激戦地である。
特に、バコロド、隣町、タリサイ、そして、シライと、続く町々は、日本軍の駐留していた場所である。

昼間前に、私は、両替に出掛けた。
暑いが、日本の暑さと、違う。
暑さが、嫌にならないのである。

ダウンタウンの方向に向かう。
道路が、円を作る場所まで出る。そこが、公園になっている。

と、その時、飛び出してきた、男の子・・・
あっ
とても、シャツが、汚い。
ああっ
元気かい・・・

以前、衣服を上げた子供たちである。
早速、皆と、顔を合わせる。

お腹空いてる・・・
ハングリと、私は、彼の腹を指した。
ハングリと、応える。

それじゃあ、と、六人を連れて、道を横切り、フード店に入る。
普段なら、入られない場所だが、私と一緒なので、堂々と入る。

それぞれに、チキンと、ご飯セットを注文する。

今回も、私は、彼らに、衣服を渡そうと思った。
前回渡したものは、もう、汚れている。

明日の朝、10時に、今の、場所で会おうと、約束して、別れた。
その前に、写真を撮った。
それが、よかった。
翌朝、彼らと、会うことができなかったのである。

私の頭の中で、ストリートチルドレンのグループが、三つある。
一つは、彼ら、男の子だけのグループ。
そして、中学生位までの、男女混合グループ。
ダウンタウンの、カテドラル付近にいる、子どもたち、である。

だが、それが、もう一つ増えた。
明日、ネグロス島に向かうという、夜に、五名の男の子グループを見つけた。
8歳から、13歳までの、男の子のグループである。

食事をして、ホテルに帰る道に、彼らが屯していた。
そして、話し掛けた。
私は、すぐに、パンと飲み物を買って戻り、彼らに渡した。

彼らは、ストリートチルドレン専用の、寝泊りする場所にいると、言う。
学校に通う子が三名いた。

ただし、そこでは、寝るだけで、食事は、出無いのである。

これで、四つのグループに出会った訳である。

兎に角、再会することが、出来るというのが、心強かった。
次も、会える。
すると、彼らのための、衣類を仕分けして、持参できるのである。

私は、旅先では、酒を一切飲まない。
食事をして、しばらくすると、眠くなるので、早々にベッドに就く。

夜のシャワーを浴びると、一日が終わるのである。

両替は、いつもより、多かった。
日本円が、強い。
これには、とても、助かる。
一般の食堂だと、100円程度で、食べることができる。
それでも、ケチケチ精神は、変わらない。
兎に角、10円でも、安くと、考えている。



posted by 天山 at 11:52| ビサヤ諸島への旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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