2011年08月16日

天皇陛下について。85

日本国憲法は法理念としての「国民平等主義」を打ちたて、天皇については、国民とことなる待遇をなすべきものとしたのである。いいかえれば、日本国憲法は、民主主義といっても、君主を認め、君主は国の安定、統一の必要上、国民と異なる身分、地位、特権を保有すべきもの、と定めたのである。そして、君主の身分、地位、特権を認める以上、それは他の一般の文武官ごとき個人能力を要件とすることは無意味の大なるものであるから、君主の場合に限り、血統を要件とするほかないのである。
里見

要するに、民主主義の中の天皇陛下である。

民主主義とは、人間平等主義の理念を基に、成り立つ。
ただし、人間平等ということは、一つの理念である。
現実の、事実ではないことは、明白である。

人間平等主義とは、理念であり、政治を行うという、建前によって、文明国では、通用している。

可能な限り、平等を、実現しなければならないが、実際には、すべての人間が、現実生活の中で、平等であるという、事実は、無いし、それが、この世の中である。

この平等とは、単に、生物学上、人間であるというだけで、平等であるというのだ。そして、主義であるということ、イデオロギーである。

だが、現実には、人間の持つ、諸性質によって、それは、制限される。

であるから、平等主義であるが、選挙権などは。成年者による普通選挙を保証する、となる。

成年者だけに、権利を認める。
そこで、それは、平等ではない。未成年にも、選挙権を・・・などという者が、いれば、馬鹿だと、言われる。

人間は、現実に、種々不平等である。
如何なる、法律も、科学も、政治も、完全に、平等ならしめることは、できない。

内的能力と、外的な機縁によって、人間は、種々雑多な、不平等を生きるのである。

であるから、
人間平等主義の理念も、故に、法律として現れれば種々の制限を設けざるをえない。すべての日本国民がひとくし総理大臣になることはできない。日本国民であっても、未成年者や、無能力者はなれない。能力があっても機縁のない者はなれない。
里見

理念的平等ということを、忘れたのか、知らないのか、教育の現場でも、平等主義を、歪めてしまう、父兄、教師がいる。
運動会では、皆、一等か、区別をつけないという、仰天する、行為である。

成績の良い者も、悪い者も、一緒くたにしてしまえるか・・・
この世には、どこにも、人間平等などという、事実は、無いのである。

その証拠に、厳然として、差別という感覚が、存在する。
更に、差別と、区別の、区分けも、一緒くたにする人々までいる、仰天である。

男と、女には、性差がある。
それが、当たり前である。
しかし、性差を無くするという、考え方が、現れて、とんでもない、混乱に陥れた。

それは、差別ではなく、区別のはずだった。

さて、
日本は君主国である。君主国であるのは、現実の事実であって、日本国民の必要、要求の上に立っているのである。個人としては、天皇は不必要だと考えている者も存在してはいるがそれはあくまで個人の考えであって、日本民族日本国民の総意となっているものではない。
里見

であるから、日本国民の上に、平等主義を、取り入れる場合は、その、天皇の存在を要求する、大本であるから、その根本の主体的要求によって、制限されるものだ。

人間平等主義を、そのままの形で、取り入れることを、否定する、と里見は、言う。

憲法は、日本という国家についての、規範であり、一般の人間についての、規範を言うものではない。

日本は、君主国である。
その上で、身分としては、天皇と、国民を、区別しなければならない。
それは、日本の、社会、歴史、伝統、現実の必要に基づくものである。

そして、天皇の区別される、理由は、血統である。

人間平等という理念をまず確認し、この理念によって全く新しい国家を肇造する、というなら格別であるが、日本の場合には幾千年の歴史を有する日本民族の社会と国家とが、まず厳然として実在しているのである。
里見

だから、実在は、理念に優先するものである。
実在を無視して、理念を実現しようなどということは、観念論であり、イデオロギー病である。

戦後、東大の法学部教授であった、横田喜三郎という、者は、
ただ単に血統に基づいて世襲的に天皇となることを認めるのは民主主義に反する、と言う。

これは、天皇存在の、意義を、単なる家元のレベルに、貶めているものである。

全く、軽薄な、考え方であるとしか、言えない。

それに対して、里見は、
血統に基づく天皇が、国民のいかなる利益を害しているのか。
また、国民の権利が侵害され、国の政治が、民主主義的に行えないという理由があるのか、との、反論である。

血統に、基づいて、特権を有するのは、民主主義に対するとの、横田の考えも、また、アホらしい。

天皇の存在を知らないから、言えることである。
天皇の特権とは、何か、である。

天皇の特権とは、何一つ、天皇個人のためのものではない。

国事行為を行うことは、天皇の個人的利益とは、関係ない。
天皇は、何一つ、個人的なことは、出来ない、身分なのである。

天皇は、国のために、ただ、奉仕する、つまり、皇祖皇宗のため、平らに言えば、祖先のために、そして、国民の平安と、安全のために、祭祀するという、使命を持つだけである。

天皇の、特権とは、ことごとく、国家の必要に基づくものであり、天皇ご自身を持って、解すことはできないのである。

個人のために特別の権利を認めたと解するような小さな考え方では到底わかるはずがないのである。
里見

つまり、天皇の歴史を、知らない者の言うことである。

天皇も、人間だ・・・
それは、当時の、暴走した、軍部の考え方である。
軍部を批判する者が、軍部と同じ、考え方をするという、可笑しさ・・・

同じ人間でも、違う・・・

定めである。

この、横田から薫陶を受けた、官僚たちが、後の、そして、今の日本の官僚の、反日行為を生み出し、今も繰り返されている。

敗戦の際に、一目散に、米軍進駐軍に、媚を売った者である。




posted by 天山 at 19:42| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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