2011年08月15日

天皇陛下について。84

マッカーサーがどのような意図を有し、どのような占領政策を押し付けたにせよ、それは占領の終結と同時に一切合切ご破算であり無効である。
天皇とか何か 里見岸雄

実に、明確である。
更に、

日本国憲法は、新しい合法的憲法ができるまで有効であるが、その解釈は占領軍司令官の手を離れて今や日本の手に帰したのである。正当な解釈である以上、どんな解釈をしたところで、何ものにも抵触するところがない。
里見

しかし、政府も、国民も、独自の機能に基づく、解釈をもって、憲法の、天皇に対する、存在を明確にしないのでいる。
最も、平和憲法と、言われる、九条についても、である。

イギリスが、危惧したように、これでは、国際的、貢献も、ままならないではないか・・・
そう、軍備の必要性を、無きものにした。
戦争放棄とは、耳障りがいいが、自衛権まで、放棄するという、考え方も、できるのである。

天皇陛下、一点に絞り、里見の考え方を、見ていく。

マッカーサーは、天皇陛下もまた、基本的人権を有する。他人が、その名誉を毀損した場合は、名誉毀損罪で、告訴することができる、としたが、里見は、それは、天皇陛下が、君主であられ、象徴であられることと、何も公の関係がない、と言う。
個人の名誉毀損ではない。天皇陛下を侵すことは、直ちに、国家を侵すことになる。そのような自由を、基本的人権として、憲法法律で、保護するということは、国家の自殺行為である、というのだ。

要するに、マッカーサーは、天皇陛下というものの、真の存在の、ありようを知らないのである。

つまり、日本の伝統的歴史観を、知らない。そして、知る訳が無い。
アメリカという国の、成り立ちを見れば、一目瞭然である。

更に、彼らの、権威というものは、ただ、妄想の神以外にないのである。

天皇陛下を、大統領に似たものとしか、考えられない、想像できないのである。

「天皇は君主であり日本の象徴であるが、それは尊厳なものではないから、国民は自由権の基づきいかなる不敬を加えても、名誉毀損として天皇自ら告訴する場合を除き罰せられない」というのでは、天皇を君主と仰ぐ基礎は成立しないのである。いやしくも君主を認める国家であるならば、そういう馬鹿げきった法理を許すところはない。
里見

ただ今の、憲法には、天皇陛下に対しての、神聖不可侵の規定がない。

しかし、憲法に、神聖不可侵であると明文をもって定めなければ天皇は神聖ではない、侵してもよい、というわけではあるまい。
里見

里見の、考えを要約すると、天皇という特別の身分、地位が、憲法上、極めて、重大なものとして、認められ、象徴であると、定められていること、それ自体、天皇は、神聖であり、不可侵であるという、法理をなすものでなければ、ならない、とのこと。

「天皇を侵してはならぬ」という法理は、天皇が君主であり象徴であることから必然成り立つ法理なのである。
里見

兎に角、一国の統一、安定ということは、憲法の最大の目的である。それに、欠くべからざる、存在としての、天皇。

ここで、私は、里見が、憲法会社から、天皇の存在を、徹底して、説いていることに、敬意を表する。
つまり、頭で、屁理屈を考える者たちに、向けて、誠心誠意に、対応していると、思う。

私は、長い日本の歴史の中で、天皇の存在というものが、自ずから、理解され、知られ、納得するものと、信じている。
だが、それでも、天皇に対して、その神聖や、不可侵性を、認めない、認めたくない・・・と、色々ある人たちは、先祖の因縁が悪いとしか、考えられないのである。

神仏混合で、長年生きてきた、日本人は、仏と共に、日本の神の道、神道に関しては、全く無意識のうちに、培ってきた、伝統である。
更に、神の道と、その祭祀を司る、天皇陛下に対し奉り、何の抵抗も持たず、ありがたい、ことと、思い、日本人として、成り立ってきたのである。

どんな、強情な仏教の信者でも、先祖からの伝統に対しては、従う。
それが、天皇の存在観として、認識されているのであるから、それを、無視し、無きものにするという、考えは、きっと、先祖の因縁が、悪いとしか、思えない。

私の父は、戦争により、天皇陛下に対して、実に、不敬なことを、言っていたが、私の祖父母たち、四人は、そんなことはなかった。
それで、私は、天皇陛下の、存在観というものを、教えられた。

テレビが普及して、天皇陛下が、映し出されると、祖父母たちは、手を合わせて、そのお姿を拝していた。
子供ながらに、それは、とても、厳粛なものだった。

このお方は、別物なのである。
特別な存在なのである。

統一者たり安定者たる天皇を侵すことは、国の統一を侵し、国の安定を乱すことであって、それをもし基本的人権たる自由であるとするならば、国家を組織するもの、憲法を立てるのも無意義千万といわざるをえない。
里見

そこで、思うのは、タイ国王のことである。
タイは、国民の九割が、国王支持であり、不敬罪がある。

だが、タイ国王は、世界の王位の中でも、最高の金持ちである。
それによって、支えられている国王の存在として、私は、認識する。
勿論、200年の伝統、アユタヤ王朝の流れがあるが、その存在は、実は、不安定なのである。

だから、法律により、国民に、不敬を、そして、国王を侵すな、という、命令をしなければならない。

だが、天皇陛下は、何も有していなくても、天皇陛下として、国民が、最大の権威を見る。そして、奉るのである。

これは、2670年の、伝統に支えられた、確たるものであるとしか、言いようが無い。
更に、である、天皇陛下の存在に支えられて、日本と、日本人は、それであることが、為される。
無意識のうちにあるものである。

畏れおおくも、かしこくも・・・

戦後、言論の自由があり、天皇陛下に対する、批判なども、公に出来るようになった。
その時、天皇陛下を、誤解した人々によって、更に、事実を知らない人々によって、天皇陛下の存在が、危うい状態に陥るという、事態もあったが、天皇陛下は、何も変わらず、淡々として、日本の国、その国民のために、祈り続けているという、お姿に、私は、感銘と、感動し、更に、このお方を、頂く国、日本が、素晴らしい国であると、納得したのである。





posted by 天山 at 17:47| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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