2011年08月12日

がんばらなくていい東北 9



 宮城松島の旅のリポートもこれでさいごになる。
 被災者からは、いろんな話をきいた。
 あまりにもむごい話も。
 
 それを書くかどうか、今日この日まで迷ってきた。
 だが、書くことにする。
 別に誰かを告発するわけじゃない。
 それにこのブログの閲覧者が、何人いるかもわからない。
 おそらく、ほんの少しだ。
 ジャーナリスティックなことを言うのではない。
 ただ、亡くなった人に口はないので、その無念の思いをしるす。

 むごい話とは、野蒜小学校のことである。
 地震のあと、行政の指定避難場所である野蒜小学校に、被災者がたくさん避難して来た。
 津波が来ることがわかっていたので、学校の二階に逃げようとした。
 すると、行政側の誰かが、スマトラ島の地震で倒壊した建物のことが、頭をよぎったという理由で、避難者を2階に上げなかった。あまつさえ施錠までした。そのことは体育館に避難していた中学生が言うことなので、嘘ではないだろう。

 私はスマトラ島の地震が起きた一ヶ月後に、被災地パダンに入った経験がある。
 二階以上ある建物は、確かに倒壊していた。
 しかしそれは、いっぱつで壊れたわけではない。
 数日間、大きな余震がつづき、その横揺れにゆすられて、少しずつ倒壊していったのだ。
 地震の直後、津波が来るのに、体育館に押し込められたのでは、溺れ死ねと言われているようなものだ。
 なお悪いことには、大塚というところで高台に避難していた人たちが、そこは避難場所ではない、と行政側から指導があり、野蒜小に集められた。津波で亡くなったのは、そんな人たちだった。

 校長以下、教員はみんな助かっている。施錠をしたのは、そのうちの誰かだ。
 責任追及をするわけじゃない。そんなことをすれば、当人は自責の念にかられて自殺しかねない。

 体育館は津波に襲われ、溺死者は20名弱。
 溺死は免れたが、低体温症で亡くなった人は、10名弱。
 その他、野蒜小学校の周り5キロメートルであがったご遺体は、200名弱。

 施錠された学校の校舎に、なんとか入ろうとしているうちに、津波にのまれたのではないか。

 何という無念か。助かるはずだった命なのに。
 野蒜小学校の悲話は、いつの間にかうやむやになり、秘話となった。
 今では、現場で助かった数人が知るのみである。
 
 こういった話は、野蒜小学校だけではないはずだ。
 今後くわしく調べれば、行政側がシステム通りに、四角四面の対応をしたために、助かる命も助からなかった事実が、ぞくぞくと出てくるだろう。
 
 私も、ついこの間、市役所の役人を、喧嘩ごしで働かせた。
 節電の名目で、区民を入れなくして、職員だけ涼んでいた地区センターの、ロビー立ち入り禁止のバーを除かさせた。ただそれだけのために、市会議員から、市民局、区役所とたらいまわしにされながら。

 震災のひっ迫した状況の中で、行政を動かすのが、どれほど骨の折れることかは、想像できる。誰も責任をとらず、逃げまわり、マニュアルどおりの言い訳を繰り返すばかり。現状に即した臨機応変の対応がとれない。

 震災と津波は、想定外の事態だったと政府は繰り返しているが、自然災害だけではなく、人災で被害が拡大したということだ。

 震災後も、行政は役立たずであった。
 このようなことから察するに、現政権が解散も、辞任もしたがらない理由がわかってくる。
 政権を維持するあいだは、上からの命令で緘口令もしける。知られたらまずい震災関連の事実を、たくさん隠しているのではないか。政権交代して、全部洗いざらい調べ尽くした方がいい。

 被災地の復興のメドがたつまで辞めない、のではなく、証拠隠滅が済むまで辞めない、ということなのではないか。これは、ただの勘ぐりだろうか。

 もしも私の勘が当たっているなら、木村天山風に言えば、そんな政治家と、役人どもは、バカ、アホ、間抜け、くそったれだ。自害して果てよ、だ。

 助かるはずだった人々の無念を晴らすため、犯罪ならば起訴しなくてはならない。
 被災者の優しさにつけこませてはならない。
 住民のために存在しながら、住民を見殺しにし、その罪の意識もなく、のうのうと今も住民の税金で食べているような行政は、終わっている。

 バカに上に立たれてはたまらない。
 東北の人たちも、私たちも、生き残らなくてはならない。
 被災地復興はこれからが正念場だ。



×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。