2011年08月10日

がんばらなくていい東北 松島被災地の旅 6



 永松さんの実家の庭で、活動がはじまった。もし名付けるとするなら、「総合奉仕デー」とでもいうふうだ。そばの炊き出し、すいか割り、かき氷、衣服や野菜に文房具の手渡し。炊き出し隊の他は、永松さんの知り合いの地元の方が手伝う。

 ぞくぞくと集まって来る被災者の方たち。
 混乱はなく、そばを食べるのも、列を並んで待っている。
 そばは十分な人数分あり、食べそびれることはない。
 子供たちが割った、というか、ちょっと叩いて傷つけたすいかも、包丁で食べやすく切り分けられた。
 集まる人たちは、子供とお年寄りが多い。それから子連れの母親。月曜日の昼間だったので、父親は働いていて、来れなかったのかもしれない。めずらしく、若い人がいるな、と思うと、アメリカのサンディエゴから来た、ミッション系の奉仕団だった。

 家の軒先を使い、衣服の手渡しも行われた。
 さまざまなところから届いたものが、混在している。
 もちろん、テラの会の木村天山から届いたものもある。
 永松さんと知り合ってから、毎日必ず一箱は送っていた。

 私も、持参したバッグの荷をとき、ハンドタオルを並べた。
 ハンドタオルありますよ、と大きな声で呼びかけると、主婦の方たちが、わっと集まってきて、一瞬にしてなくなった。また、クーピーも1セット、寄付されたものを持ってきたが、女の子がめざとく発見し、すぐになくなった。
 そうするなかで、自然と役割分担が決まった。
 私は衣服を、相手の要望をきいて一緒に探し、手渡す係りだ。
 海外で6年も同じことをやってきているので、馴れたもの。
 
 被災地では、衣服は中古はダメ、新品しか受け入れない、という噂も耳にしていた。
 私は経験上、そんなことはないと踏んでいた。
 必要だったら、人の使ったものだろうと何だろうと、関係ない。
 いわゆるお下がりというイメージではない。なぜなら、寄付する人たちが、綺麗に洗濯して、十分使える状態で送ってくるからだ。
 衣服は新品も中古も豊富にあった。しかし、その中から、それぞれ欲しいものを探し出すのが、たいへんである。だから探している人に声をかけ、話し合いながら、一緒に探す。その会話の中から、被災者の「いま」を感じることができた。

 80過ぎの老母といる、50代の女性。母親の着替えがないという。80才以上の人が着れるような、ゆったりした衣服は、どこへ行っても一着も見つからない。
 
 ああ、そういう服なら、うちの事務所の倉庫にたくさんあるのに、と悔しかった。
 結局その日も見つからずじまいだったようだ。

 LLサイズの作業着が欲しい、という男性。
 これは永松さんが事前に要望をきいており、用意していた。

 ジャージや下着類はないか、というおじいさん。
 一枚のズボンを長いことはきっぱなしだという。
 成人男性ものは少なかったが、何とか見つかった。
 ランニング・シャツも渡した。

 ふと今思う。衣服にしても、「あったかいホール」のような、支援物資の集積地から、被災者の徒歩で来れるところまで、持って来るのがまずたいへんである。ネット上では、効率的な支援をうんぬん、と議論かまびすしいようだ。しかし現場で何が起こるかは、わからない。その時その時に応じて、臨機応変に動くしかない。どうあれ最後は、マンパワーにかかっている。

 衣服を手渡しながら、被災者から直接きく話は、貴重だった。
 テレビも新聞も通さない、一次情報である。
 それをきくために、被災地入りした面も大きい。

 日本人の特質のせいなのか、自分の苦労話を、他人に話すことがあまりない。
 きかせて相手の気を滅入らせるのが嫌だからだ。
 本当の苦労は、会話のはしばしに、少しだけ顔をのぞかせる。
 マイクとカメラを近づけて、「いま、どう感じますか」ときいて出てくる話ではないのだ。

 アメリカから届けられた、鉛筆の束もある。
 座りこみ、ためつすがめつする、文字を習いたての子供たち。
 鉛筆は、すぐに使えるように、削られていた。

 活動場所の東名は、海と山の接する町である。
 津波に遭った町中には、理容店もあった。
 赤と青の渦まきの看板が倒れかけていた。
 
 髪を切るボランティアのブースがあった。一人の女性が、もくもくと髪を切っていた。希望者は多く、ほとんど休みなく、次から次へと調髪していた。女性にとって美容室で髪を切ることは、ただの生活上の必要のみではない。最高の癒しだ、と言った女性を知っている。

 しかし圧倒的に人手が足りない。次から次に来る客を、相手するのはただ一人。
 さすがにボランティアの方の顔にも疲れが見えた。

 そばでお腹を満たし、野菜や衣服をビニール袋につめた人たちが、三々五々帰っていく。
 それでも、ぽつりぽつりと、新しく人がやってくる。
 そばやかき氷の方も、まだ設備を片付けられない。

 衣服の方は、ようやく手があいた。
 何することなく立っていると、ボランティアの人から声をかけられた。
 
「いつも笛ふいてボランティアしてるんですか?」

「いえいえ、今日はたまたまです」といいつつ、テラの会のチラシを取ってきて渡す。

 プロテスタントの人だった。2泊3日で来ている。主に側溝の泥かきなどをやっている。テラの会のチラシを見ながら、木村天山ブログの項目、「神仏は妄想である」を指さして、苦笑いしていた。

 とはいいつつ、うちの代表(木村)はクリスチャンなんですよ、と言うと、わかったような、わからないような顔をしていた。あえてそれ以上説明はしなかった。数分の立ち話しで、木村天山のことをわからせることは、まず無理だから。

 被災者より汚れた格好をしている一団を見かけた。サンディエゴのミッション系の人たちだ。日本語の達者なものも数人いたが、まったく話せないおばさんもいた。ガムテープで「テレザ」と名札をはった、そのおばさんに声をかけた。

 2週間の予定で来ていて、持ち物はほとんどない。服も一枚着てきたのみ。それではと、テラの会の衣服の中から、作業着になるものを選び、持っていっていい、と言った。

 現地の人にあげなくていいのか、としきりに気にする。
 現地の人にもあげているし、それだけではなく、被災地で作業する人にも使って欲しい、というと、やっと受け取る気になったようだ。Mサイズはあるか、これは日本製か中国製か、と会話が弾む。

 軍隊はどこに行ったのか、あなたはどこから来たのか、と質問責めにあった。
 どうやら、サンディエゴから飛んで来たはいいけれど、現地の人との交流もなく、被災地のこともほとんどわかってないようだ。それ以前に、日本のことを、どれくらい知っているかも怪しかった。
 どうして英語を話せるの、ときくので、日本では中学校と高校で英語を教えているのだ、と教えると、はじめてきいたような顔をしていた。私も、海外で日本語が話せる人に出会うと、不思議に思って必ず同じ質問をする。
 となりにいた日本人のボランティアまで、私に英語で話してきたのは、ヘンだったが…

 海外における、日本の被災地への関心が高いことが知れた。もしかしたら日本人自身よりも高いかもしれない。

 情報交換の場として、今回の活動を催した永松さんの思惑は、うまく当たったようだ。
 ある意味で、東北の被災地は、いま日本でいちばん国際的な場である。
 世界中から寄付が届き、ボランティアがやってくる。

 そうした歓迎すべき影響は、どんどん受けた方がいい。
 若い人が、世界へ目を向けるきっかけになりうる。
 
 人が減り、ほとんど近所の人ばかりになってから、永松さんが、お父さんにサプライズがある、と言いだした。二日前が誕生日だったそうで、ケーキが魔法のようにあらわれ、みんなで誕生日おめでとう、と盛り上がる。お父さんは照れくさそうに笑っていた。娘に誕生日を祝われて嬉しくない父親はいない。

 じつは私は、お父さんに、早々と誕生日プレゼントを渡していた。
 それも、もしかすると、ケーキよりうまいかもしれないものを…
 永松さんには、今もって内緒である。

 着いてすぐ、二階に荷物を置いていると、お父さんがやってきた。煙草もってないか、という。一箱、未開封のものを持っていた。

「みんな流されちまって…」

 と遠い目をする。煙草吸いの気持ちは煙草吸いにしかわからない。
 あらゆる雑事にふりまわされ、神経が疲れ切ったとき、一服の煙草がどれほど救いになるか。私はインドネシアで買った煙草のさいごの一箱を、まるごと渡した。好きなだけ吸って下さいとまで言った。
タール39ミリ、ニコチン2.3ミリの、禁煙傾向の日本ではめったに売ってない、うまいかわりに特別濃いやつだ。ライターも渡す。そして部屋を出た。忘れ物をして扉を開けようとすると、内から閉まっている。ハテナ・マークが目の前をとびかった。

 お父さんが肺気腫もちだと、次の日永松さんからきかされたときは、冷や汗が出た。

 なにも津波のせいではなく、病気のせいで煙草が吸えなかったのだ…
 そうとは知らずに、医者が見たら卒倒しそうな煙草をあげた自分のバカ。
 そんな事情を全く悟らせず、しっかり欲しいものを手にした、お父さんのしたたかさと、茶目っけには、脱帽。
 この場を借りてあやまる。
 永松さん、ごめんなさい。

 結論からいって、女の欲しいものは、女がわかりやすい。
 男の欲しいものは、男がわかりやすい。

 ほとんど日が暮れた。
 宿に7時に行くと告げてあったので、その場を辞した。
 代行バスの停留所で、せまり来る蚊の大群とたたかい、やがて来たバスに乗った。
 お金を払おうとすると、着いてからでいいという。
 松島海岸駅についたが、誰もお金を徴収しに来ない。
 不思議に思いつつも、ちょっと得した気分だった。
 今夜の泊まりは大松荘である。



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