2011年07月26日

天皇陛下について。83

東京のマッカーサーは、海外からのゲストを天皇に近づけない事で知られた。日本に着任して二年目のガスコインですら、天皇との個人的会見は実現していないのだ。キラーン卿は喜んでマッカーサーの提案を受け入れたのだった。
徳本栄一郎

キラーン卿とは、明治末期、駐日英国大使館で、二等書記官として、勤務し、1921年、皇太子時代の昭和天皇が、欧州を歴訪した際に、彼も、英スコットランドに同行した。英国外務省の、日本専門家の一人である。

敗戦以来、天皇が英国要人と単独で会うのは、初めてのことである。

明らかに天皇は、戦後初めて、英国の旧友を迎えた事を歓迎していた。拝謁は、ひと時も途切れる事無く二時間続き、天皇は、1920年の訪英時の個人的出来事を話し続けた。訪英が、いかに彼の心に強烈な印象を残したか証明された。
1949年1月25日、英国外務省報告

天皇は、先の大戦を遺憾に思っている事、自分は常に反対していたが、周囲の環境や状況に逆らえなかった事を断定的に語った。また、日本人が与えた苦しみや被害に、心から遺憾の意を表した。
上記に同じ

天皇は、わずかながらも外部の空気を吸う機会を得て喜んでいた。言葉には発しなかったが、天皇は強い親英感情を抱き、再び英国とのコンタクトを得て心から喜んでいる気持ちを伝えようとしていた。
上記に同じ。

天皇は、英国国王夫妻に敬意を表する挨拶文を送りたい旨を、繰り返し表明した。自分は、この要請を然るべき筋に伝えると返答した。
上記に同じ。

それは、世界大戦により、途絶えていた、英国王室、特に、国王ジョージ六世との、メッセージの交換である。

だが、それは、大変難しいものだった。
天皇の、状況が、定まらないうちに、英国との、関係を密にすることは、英国に不利益をもたらすことにもなる。
更に、終戦から、三年を経ても、英国にとって、日本は、講和条約も締結していない、敵国であり、戦争中、日本軍が、英国戦争捕虜を虐待したとのニュースも溢れて、英国民の対日感情は、最悪だった。

戦争状態にある点を考慮し、宣伝を防ぐため、私的な返答は避けるべきである。天皇のメッセージを受け取った旨は、駐日代表を通じ口頭で先方に伝えるべきと考える。
1948年8月12日、英国外務省報告

東京の、ガスコイン駐日代表は、ジョージ六世のメッセージを、単独会見が出来ない以上は、口頭で、伝えることも、無理であるとして、天皇の弟である、オックスフォード大学に留学した、秩父宮を、経由して、伝えることとした。

敗戦から、三年目は、東京裁判の判決が出た年である。
A級戦犯七名に、絞首刑を宣告された。

更に、天皇陛下の、全国巡幸が、行われていた。
焼け跡で、天皇陛下を国民は、熱狂的に、歓迎した。
それは、以前書いたとおりである。

終戦直後のマニラで、キラーン卿がマッカーサーと会った時、天皇の評価が話題に上がった事がある。マッカーサーは「天皇は今の日本で最も民主的考えを持ち、極めて扱いやすい男だ」と答えた。1946年7月11日、英国外務省報告
徳本栄一郎

日本の、国家改造には、欠かせない人物、天皇の存在である。

その後、天皇退位論などが、出てくるが、結果的に、昭和天皇は、退位しなかった。

そして、それが、最も理想的なものだった。

以上、英国外務省報告を、眺めた、徳本栄一郎氏の、書籍に助けられた。

こうして、昭和天皇の、姿を、検証してゆくと、昭和天皇が、いかに、すぐれた政治的感性の持ち主であったかが、解る。
そして、何より、歴代天皇に、鑑みて、己の姿を、絶えず、客観視していたことである。

側近、つまり、政治家が、決めたことは、そのまま、受け入れて、承認するという、姿勢。これは、歴代天皇の御姿である。

そして、それを、辿ると、大和朝廷以前の、富士王朝時代にまで、遡るのである。

大和朝廷の、前身である、富士王朝から、9000年の歴史を、誇る。
神武天皇から、建国2670年を迎える。
世界で、唯一の、歴史の国である。

それは、大政頭、おおまつりかしら、から、大王、そして、大君、天皇と、続いた歴史でもある。

富士王朝では、政、まつりごとの、場を、高天原府として、置いた。
それが、高天原という言葉の、発祥である。

そして、その後、九州に政治を司る、府を置くことになる。
それも、血族であるから、万系一系の天皇の、歴史である。

九州王朝を、天都とし、富士王朝を、神都として、神武東征まで、続くことになる。

それについては、いずれ、書き付ける。

もう少し、昭和天皇の姿を、見て、天皇というものの、存在というものを、考えたい。
学問的には、天皇制という、制度であると、言われるが、天皇は、制度ではない。
伝統である。

制度という、観念が出来る前から、天皇の存在があり、それが、日本を形作っていったのである。
伝統と、言うほかないのである。

更に、西欧の、君主制と、決して、同じくして、理解できないものである。
最も、反対の、絶対君主制なとども、全く別物である。

民族が、生み出した、知恵である、伝統としての、天皇の存在である。




posted by 天山 at 02:44| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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