2011年07月18日

性について。182

初期のローマの歴史には、別に注目をひくようなことは何もない。初期のローマ人は洗練されたところもほとんどなく、女性の地位もまことにみじめなものであった。
ガブリエル・マンシニ

原始ローマは、場末のかたまりのような場所だという。
そして、淫売宿が、ひしめきあう。

どんな場所でも、処構わず、事が行われていた。
特に、城壁の陰、人気の無い、道端、青空の下・・・

ラテン語の、fornixは、淫行する女が犯す売春行為と言うが、これから、姦淫という言葉が、出来た。
姦淫とは、旧約聖書に、多く用いられる。

ローマ帝国成立以前は、ギリシャ人に見られるような、優雅な雰囲気は、ローマ人には、皆無である。

性的関係は、放埓が支配し、淫らな女たちが、それに、加わる。
正当な権利を持つ主人であろうと、そうではない事実上の主人であろうと、一端、主人の手に落ちた女、ないし、女奴隷は、ローマ人であるなしに関わらず、残酷な獣性に、支配されていた。

紀元前二世紀頃は、甚だしく、無秩序乱脈の時代である。
そのため、後の、警察のような存在が、秩序を守るために、干渉していた。

紀元前180年頃に、マリスウが、初めて、売春婦たちの登録制を行った。
マリウスは、ローマの将軍であり、執政官となり、軍政を行った。

この、登録制は、現代まで続くものとなるのである。

この事実は、決して取るに足らぬものではなかった。というのは、売春登録こそ売春婦を法律上決定的に奴隷とすることになったからだ。
ガブリエル・マンシニ

鑑札の携行者として、売春婦は、死ぬまで、生涯法的保護を受ける資格のない、恥ずべき行為を行う、公権を剥奪された者であるとの、刻印を押された。

つまり、差別の対象である。

更に、指定された地域を出ることも、適わなくなったのである。

ローマでは、場末の町、シュブュールが、そうした地域である。
売春仲介業者は、ただ、届出をするだけで、許可が下りた。

更に、この時期は、甚だしく、放埓である。
多くの、人身売買が行われた。

二代ローマ皇帝、ティベリウスは、特に、騎士階級が、その子女を売春に従事させることを、禁じ、何とか、事態を改変するために、干渉した。

騎士階級の、子女でも、売春に従事すれば、結婚の機会が失われ、後の人生は、恥ずべき行為をして、生きるしか、なかったのである。

ローマ社会は、無為徒食の輩が多く、売春仲介の女主人、売春請負業者、そして、ヒモの数が、多数であった。
女に、売春させて、暮らすという、男を、ヒモという。

ティベリウスは、あまりにも、過度に売春宿が、流行し、これを禁じる方策を取った。
彼は、貴族老オソニウスを任じて、こうした連中の監督に当らせた。

現代風に言えば、風紀取締りであり、それを活用して、利益を上げたと言う。

歴史が、売春と、切っても切れない関係を有していたということである。

そして、それは、人類が消滅するまで、続く。
決して、消滅はしない。
だから、為政者たちは、何とか、売春行為を、監視し、更に、許可して、そこからの、利益を得ることを、考えた。

どんなに、文化、文明化が、進んでも、この人間の、根本的欲望である、性欲は、止められない。また、止めると、それが、犯罪に結びつくことになる。

ポンペイを訪れた旅行者は数多い。そこには、売春婦がまるで鳥籠にでもいれられているように閉じ込めていた独房の遺跡がみられる。どれほど案内人の説明が簡単であっても、どうやってこの種の女性たちが取引され、また有名な売春取引の仲介を業とした「レノ」によって、ふたたび売りに出されたかが分るだろう。
ガブリエル・マンシニ

ローマ帝国になっても、売春は、無制限に行われていたということである。

公衆浴場、居酒屋、理髪店などなど、自由自在。
売春仲介業者は、法律的にも認可され、組織を作り、莫大な利益を上げていた。

それが、キリスト教に改宗し、国教とした、ローマ皇帝、コンスタンチヌスから、現代に続く意図を持った、登録、鑑札制度が、行われるようになる。

コンスタンチヌス皇帝の事業は、ローマ人の習俗を改善することであった。
だが、奴隷が存在していたゆえに、売春を阻止するのは、不可能。
若い売春婦は、売春のために、市場で取引された。

彼女たちは、売春こそ、主人の気に入ることだった。

五世紀はじめ、東ローマの、テオドシウス皇帝は、自分の子女や奴隷を売春させた親、奴隷所有者を、国外、鉱山に追放して、売春を止めようとした。
だが、売春の歴史における、画期的な事跡は、ユテティニアヌス皇帝を持って、初めて現れることになる。

その、売春禁止制度は、今日にも、価値がある、数多くの条文が実施された。

その内容は、売春仲介業者、売春宿経営者、更に、ヒモたちを対象としている。
売春婦の大多数は、自らの意思によらない、犠牲者である。

だが、売春宿の、閉鎖により、再開を求めて、絶えずキャンペーンが行われたという。

若いといっても、現代の若い、ではない。
児童買春なども、奴隷であれば、当然行われた。
野蛮といえば、野蛮であるが、その自覚がないのである。
無自覚といえば、実に無自覚である。



posted by 天山 at 05:06| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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