2011年07月12日

もののあわれについて。522

宣旨対面して、御消息は聞ゆ。源氏「今さらに若々しき心地する御簾の前かな。神さびにける年月の労かぞへられ侍るに、今は内外も許させ給ひてむ、とぞ頼み侍りける」とて、飽かず思したり。朝顔「ありし世は皆夢にみなして、今なむ醒めてはかなきやと、思う給へ定めがたく侍るに、労などは静かにや定め聞えさすべう侍らむ」と聞え出だし給へり。げにこそ定めがたき世なれ、と、はかなきことにつけても思し続けらる。




宣旨が出て体面し、お言葉をお伝えする。
源氏は、御簾の前とは、新しい若い者の扱いの気分です。神さびるほど、長い年月の、功労を積んでまいりましたのに、今は、自由に内外の、出入りを許されるものと、楽しみにしていました、と、物足りない思いでいる。
朝顔は、今までのことは、皆夢と思い、今は、やっと夢が醒めて、はかない気がするものと、何とも、決めかねています。仰せの、功労とは、いずれゆっくりと、考えてみたいと思います、と、仰せられた。
真に、世の中は、はかないものだと、ふっと、漏らされたお言葉につけ、色々、過去のことが、偲ばれるのである。




源氏
人知れず 神のゆるしを 待ちしまに ここらつれなき 世をすぐすかな

今は何のいさめにかかこたせ給はむとすらむ。なべて世に煩はしき事さへ侍りし後、さまざまに思ふ給へ集めしかな。いかで片端をだに」と、あながちに聞え給ふ。御用意なども、昔よりも今すこしなまめかしきけさへ添ひ給ひにけり。さるはいといたう過ぐし給へど、御位の程にはあはざめり。




源氏
誰にも言わず、一人、神のゆるしを待っている間に、長い辛い、年月を過ごしました。

今は、何の戒めにかこつけて、隔てようとされるのか。あのような、苦しいことに遭いまして、色々と感じることがありました。その少しでも、申し上げたいと、と、無理にお話しを進められる。昔よりも、なまめかしき・・・洗練された技巧を加えている。
なる程、お年は、召したが、位に似合わない、若さである。
最後は、作者の言葉である。




朝顔
なべて世の あはればかりを とふからに 誓ひしことと 神やいさめむ

とあれば、源氏「あな心憂、その世の罪は、みなしなとの風に偶へてき」と宣ふ愛敬もこよなし。源氏「みそぎを神は如何侍りけむ」など、はかなき事を聞ゆるも、まめやかにはいとかたはらいたし。世づかぬ有様は、年月に添へても、もの深くのみひき入り給ひて、え聞え給はぬを、見奉り悩めり。源氏「よはひの積りには、面なくこそなるわざなりけれ。世に知らぬやつれを、今ぞだに聞えさすべくやは、もてなし給ひける」とて出で給ふ。名残り所せきまで、例の聞えあへり。大方の空もをかしき程に、木の葉の音なひにつけても、すぎにしもののあはれとり返しつつ、その折々、をかしくもあはれにも、深く見え給ひし御心ばへなども、思ひ出で聞えさす。




朝顔
すべて世の、過ぎし後の、誓いを立てましたのにと、神がお咎めになるかと、存じます。

とあり、源氏は、ああ、情けない。その頃の罪は、すっかり、しなとの風に任せて、吹き払ってしましました、と、おっしゃられる、戯れである。また、格別である。
源氏は、誓いの言葉を、神様は、お聞きとどけになりましたか、など、たわいない事を申し上げても、真面目に聞くに堪えない。
色恋の道に、馴染まない性格は、年とともに、強く、ますます考え込んでしまうので、返事がないのを、お傍の者は、困ったことと、見ている。
源氏は、色めいたこと、と、ため息をついて、お立ちになる。
源氏は、年をとりますと、面目ない目に遭うものです。考えもしなかった、やつれた姿を、今ぞ、と、いって、お目に掛けたいのですが、それさえ出来ない、随分な扱いを受けました、と、おっしゃり、お出になる。
後には、名残が、満ち溢れ、人々は、例によって、噂をする。
空さえも、風情のある、この頃である。木の葉が、はらはらと、散る音にも、久方ぶりに、もののあはれ、を、感じさせる。やさしかったり、切なげだったりした、昔の日の、その折々の、なみなみならぬ、心の程を、偲び申し上げる。

をかしくもあはれにも
過去に、心を砕いた有様である。

すぎにし もののあはれ とり返しつつ
過ぎた日々の、心の有様を、思い出し・・・

これ以上に、言葉に出来ない、その心の、様を、もののあはれ、に、託すのである。




心やましくして立ち出で給ひぬるは、まして寝覚めがちに思し続けらる。とく御格子まいらせ給ひて、朝霧をながめ給ふ。枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれに蔓ひまつはれて、あるかたなきに咲きて、にほひもことにかはれるを、折らせ給ひて奉れ給ふ。源氏「けざやかなりし御もてなしに、人わろき心地し侍りて、うしろでもいとどいかが御覧じけむとねたく、されど、

見しをりの 露忘られぬ あさがほの 花のさかりは 過ぎやしぬらむ

年頃の積りも哀れとばかりは、さりとも思し知るらむやとなむ、かつは」など聞え給へり。おとなびたる御文の心ばへに、「おぼつかなからむも、見知りらぬやうにや」と思し、人々も御硯とりまかなひて聞ゆれば、

朝顔
秋はてて 霧のまがきに むすぼほれ あるかなきかに うつるあさがお

とのみあるは、何のをかしき節もなきを、いかなるにか、おきがたく御覧ずめり。青鈍の紙のなよびかなる、墨つきはしも、をかしく見ゆめり。




気持ちの晴れないままに、立ち去る身は、それどころか、夜も眠られず、この事ばかりを、思い続ける。
朝早く、格子を上げて、朝霧を眺めていると、枯れた花の多い中に、朝顔が、あれこれに、這い回って、あるかなきかの、花をつけて、色艶も、一段と衰えものを、折らせて、お贈りになる。

余りの、きっぱりとした、もてなしに、決まり悪くなり、私の後姿を、どのように、御覧になったのかと、思いますと、嫌になります。

しかし、いつぞや拝見したときの事が、忘れられなくて。あの朝顔の盛りは、過ぎましたか。
長い年月、あなたを思う、この心を、哀れと、思いになりますか。そのお心を、楽しみにしています。
など、おっしゃる。大人らしい、手紙の言葉なので、答えないのも、心ないことと、思い、お傍の者も、硯を進めるので、

朝顔
秋は、終わりの霧の立ち込める垣根に、人目につかず、衰えてゆく朝顔の、花。それが、私です。

と、だけの、返事であり、何の面白みのないものだが、手元から離さず、御覧になる。青鈍、あおにび、の、しなやかな紙に、墨付きは、見事な、書きぶりである。

つまり、源氏は、朝顔の、つれない態度に、少しの望みをかけているのである。
だが、矢張り、思い叶わぬ。

年頃の積もりも哀れとばかりは、さりとも思し知るらむやとなむ、かつは
かつは、とは、少しばかりは、脈があるのではないかとの、願望である。

長年の、片思い・・・
それを、感じて、哀れと、思ってくれまいか・・・

恋多き、源氏の有様である。
その恋を、やんわりと、断る歌である。

秋はてて 霧のまがきに むすぼほれ あるかなきかに うつるあさがお

なんとも、優雅である。




posted by 天山 at 00:29| Comment(0) | もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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